東京都文京区 護國寺/山縣有朋墓所

護國寺にある山縣有朋の墓所。


墓所は門が閉じられて入る事が出来ません。
同所の大隈重信墓所も同様なのですが、
門から覗いてどうにか写真は撮れました。
ですが山縣の墓は門の正面ではなく、
しかも木々が邪魔しています。


元帥公爵山縣有朋墓(左)」、
公爵夫人山縣友子墓(右)」。
なんとか写真が写せる位置を探しました。
山縣については語るまでも無いのですが、
足軽出身でしたが奇兵隊軍監となっており、
明治維新以降も軍部の中枢に君臨。
3代、9代の内閣総理大臣も務め、
軍政家としての地位を確立しています。
妻の友子湯玉の庄屋石川良平の長女で、
山縣が見初めて結婚を申し込んだとされ、
石川ははじめ了承しませんでしたが、
高杉晋作が山縣は必ず出世する男だからと、
石川を説得して了承させたという。
また婚礼の際に晋作が危篤となっており、
新郎不在の宴会が行われた逸話もあります。
※記事はこちら
山縣と友子は3男4女を授かっていますが、
娘一人を残して他の6人は早逝しており、
友子も42歳で死去しました。
後に山縣は芸者貞子を内縁としたものの、
貞子を継妻とすることはなく、
山縣の横には友子が眠っています。

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