山口県美祢市 楢崎頼三屋敷跡(再訪)

楢崎頼三屋敷跡に再度訪問。
前回の訪問時には雨が降っており、
撮影した写真がボケていたので、
近くを通ったので寄り道した次第です。
※前回の記事
 山口県美祢市 楢崎頼三屋敷跡


楢崎頼三屋敷跡」。
楢崎家大組士93石で、
厚保村江ノ河原小杉に給領地がありました。
この屋敷跡は幕末期の楢崎家の仮住宅で、
元々は庄屋高見家総本宅たったもの。
当主楢崎殿衛豊資が在郷するにあたり、
高見家より譲り受けたという。
楢崎家は維新後にの本邸に引き上げ、
その後に東京に移住しており、
屋敷は再度高見家が所有していましたが、
老築化の為に取り壊されて、
現在は高見家の墓所となっています。
前回訪問時に記事とした様に、
次代楢崎頼三戊辰戦争から凱旋した際、
白虎隊の生き残り飯沼貞吉を連れ帰り、
ここでしばらく養育しました。


恩愛の碑」。
貞吉はここでの事について、
一切証言しておらず、
長い間知られていませんでしたが、
世話をしていた高見フサにより伝えられ、
近年に貞吉の子孫や会津史家に認められ、
交流が行われるようになったという。


故文部大臣高見三郎之碑(右)」、
正三位勲一等高見三郎之墓(中央)」、
高見家之墓(左)」。
屋敷跡にある高見家の墓所。
第3次佐藤内閣内閣文部大臣高見三郎は、
この屋敷で生まれ育ちました。
内務省に入省後に秋田県社会部長
警視庁警視和歌山県警察部長
奈良県経済部長等を歴任し、
静岡県経済部長の時に知事から左遷され、
この為に対立候補斎藤寿夫の許に走り、
斎藤が知事に当選すると副知事に就任。
後に政治家となって自由党の公認を得て、
静岡1区から立候補し当選を果たし、
以後8回の当選をしています。
第3次佐藤内閣改造内閣で文部大臣となり、
日本教職員組合委員長とのトップ会談再開、
中央教育審議会委員の総入れ替え、
国立大学授業料の値上げ等を行いました。
昭和53年、死去。

訪問中ここを管理する吉井さんと出会い、
※記事はこちら→美祢で白虎隊と遭遇
色々とお話を伺いました。


高見家住宅」。
楢崎頼三は公務の為に滞在は少なく、
高見家が貞吉の面倒を見ていたようで、
フサが身の回りの世話をしていました。
貞吉は頼三の書斎を借りて書物を読み、
書物に書かれた電信に興味を持ち、
後に電信技師となっています。
※初勤務地は赤間関
フサら高見家の者は貞吉を貞さぁと呼び、
小杉を離れてからも口伝で語り継がれ、
フサは盆正月に親戚が集まると、
毎回のように貞さぁの話をしていたという。

【高見フサの口伝】
 小雪の今にも舞いそうなある日、楢崎の
 殿様が戦争が終わって戻ってこられると
 いうことで、小杉中の者達が総出で集落
 の一か所に集まって出掛けたげな。しば
 らくすると遥かふもとの嘉木峠の方から、
 軍服に身を包み馬に乗った殿様と、その
 一行が見えてきた。段々と近づいてくる
 一行をよう見ると、殿様の轡を持ってい
 る者は、村人達が初めて見る少年じゃっ
 たげな。
 後で分かったことじゃが、その少年は会
 津の白虎隊士で、飯盛山で仲間と一緒に
 自刃したが、知り合いの者に助けられて、
 ただ一人生き残った「貞さぁ」という名
 の少年じゃった。
 その日の夜は、お殿様の凱旋のお祝いで
 お殿様の屋敷に村の者たちが集まって、
 飲めや歌えの酒盛りとなった。宴が進む
 中で末席に座っていた「貞さぁ」に一人
 の村人が話しかけた。「お前、生きちょっ
 てよかったなぁ、まぁ一杯飲め」この言
 葉を聞いた「貞さぁ」は、さっと顔色を
 変え土間に飛び降り今にも自害しようと
 する気色じゃったそうな。ただごとでな
 い様子に駆け寄った楢崎のお殿様は、
 「貞さぁ」を別室に呼び、次のように諭
 されたそうじゃ。
 「貞、よう聞けよ。お前も知っちょると
 思うが、いま日本の周りにゃ黒船がうじょ
 うじょしちょっていて、日本を領土にせ

 んと、虎視眈々と狙うちょるでよ。会津、
 長州ちゅうて、日本人同士がいつまでも
 喧嘩をしちょる時じゃないでよ。今から
 は皆が心をひとつにしてこの日本豊かで
 強い国にせんにゃいけんのじゃ。そして、
 その中心はお前たち日本の若者じゃ。
 命を粗末にしてはいかん。ええか貞、しっ
 かり勉強せい。そして日本の役に立つ人
 間になれ。お前の学費はわしが出す。
 貞、安心して勉強せぇよ」
 楢殿様の話をじっと聞いていた貞さぁは、
 次の日からお殿様の書斎を借りて生まれ

 変わったように勉強に励んだそうじゃ。
 貞さぁは、福澤諭吉の「西洋事情」や
 「電信の関係本」を二年間熱心に勉強し

 よったそうじゃ。

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 前回訪問時の記事。
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 萩にある楢崎頼三の墓。
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