水戸藩は悲惨です。
その悲惨さは他藩を圧倒していると言ってよい。
幕末に悲惨のあった藩は数多くありますが、
内容において水戸藩は群を抜いています。
水戸藩といえば桜田門外の変が浮かびますが、
これも本望は遂げたといえ末路は悲惨で、
関与者のほぼ全員が死んでいます。
しかしそれを上回るのが天狗党の乱で、
今回読んだ「義烈千秋 天狗党西へ」の題材。
攘夷の為に決起したはずが藩内の内訌戦となり、
いつのまにか反乱軍となってしまう。
事態を打開するために京を目指しますが、
幕府からの追討命令により道中の諸藩と戦い、
多くの仲間を亡くし信じた一橋慶喜に見限られ、
降伏すると人間扱いされぬばかりか、
ことごとく斬首されてしまう。
さらには故郷に残した親族まで迫害が及ぶ。
小説中、登場人物たちは主人公藤田小四郎に
「自分たちは間違っていたのではないか?」
と何度も聞きます。
小四郎はその度に励まし素志貫徹を訴えます。
藩内抗争で思い出されるのは長州内訌戦ですが、
天狗党には晋作のような天才は存在しません。
また水戸藩を取り巻く状況は全く違いました。
藤田小四郎はあくまで敬幕攘夷を思想とし、
倒幕など考えられなかったようですが、
それは水戸藩が親藩であった事が原因でしょう。
「義」のみに頼る天狗党の末路は悲惨です。
後世の我々は戦略的に行動すれば良かったのか、
机上で分析する事ができます。
筑波山で挙兵するのが正しかったのか?
市川三左衛門らを迅速に打倒するべきだった?
甲府城を奪って籠城する方が得策だったのでは?
なにより最後まで戦うべきだったのでは?
その後の末路を考えると、
何度も発せられる、
「間違っていたのではないか?」
のセリフが重く感じられます。
最終的に天狗党降伏者828名のうち、
352名が処刑されます。
処刑されなかった者も、遠島や追放、
永獄などの重い罰を受けます。
安政の大獄の刑死人数は8名、獄死6名ですが、
天狗党の処刑は比較になりません。
市川ら諸生党は家族らをことごとく処刑し、
ジェノサイドといっても過言ではない。
天保10年頃の水戸藩の家臣人数は、
3449人であったそうですが、
慶応4年の時点では892人に減っています。
なんと約2500人も減少していますが、
これはあくまで正規の家臣の人数。
処刑された家族や農兵の数は、
全くカウントされていません。
なんと恐ろしい話なんでしょう。
そして悲劇は維新後も続きます。
難を逃れた武田耕雲斎の孫武田金次郎は、
朝廷から諸生党追討の勅諚を受けて報復を開始。
今度は諸生党の家族らが処刑されます。
血で血を洗うとはまさにこの事。
悲惨・・としか言いようのない天狗党の乱は、
幕末維新最大の汚点といってもいいでしょう。
それはこれだけの大事件でも、
それを題材とする小説、ドラマなどが、
あまりにも少ないことからもわかる気がします。
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