佐賀県鹿島市 普明寺/鹿島藩鍋島家墓所②

続き。
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瑞巌院殿前泉州太守朝散大夫
 威徳良光大居士之墖
(右)」、
悌操院殿松室淨輝大姉之墖(左)」。
8代藩主鍋島直宣とその正室の墓。
小城藩6代鍋島直員の四男に生まれ、
7代鍋島直熙が本家を継いだ為、
急遽養子となって家督を相続しました。
31年に治世の後に隠居し、
その18年後に死去しています。


畏徳院殿前丹州太守朝散大夫
 仁勇英忠大居士之墖
(右)」、
篤誠院殿賀丞玄極大姉之墖(左)」。
9代藩主鍋島直彜とその正室の墓。
佐賀藩8代鍋島治茂(直熙)の六男に生まれ、
8代直宜の養嫡子となって、
養父直宜の隠居により家督を相続。
財政難に対して倹約やリストラ等、
藩政改革を行ないますが効果は得られず、
20年の治世の後に隠居しました。


昭徳院殿前丹州太守朝散大夫
 良永澤水大居士之墖
(右)」、
朝春院殿寶室廉貞大姉之墖(左)」。
10代藩主鍋島直永とその正室の墓。
佐賀藩9代鍋島斉直の十三男に生まれ、
9代直彜の養嫡子となって、
養父直彜の隠居に伴い家督を継ぎます。
19年の治世の後に隠居し、
その16年後に死去しました。
彼は佐賀藩10代鍋島閑叟の異母兄。

11代鍋島直晴は9代直彜の長男ですが、
家督は既に従兄の直永が相続していた為、
その養嫡子となっています。
直永の隠居に伴い家督を相続しますが、
その直後の参勤交代中に急死しました。
※何故か直晴の墓の写真は撮り忘れました。


賢徳院殿前鹿城太守
 崇巌雄威大居士之墖
」。
12代藩主鍋島直賢の墓。
佐賀藩9代斉直の二十八男で、
11代直晴の急死に伴い急遽家督を相続。
財政難に対応出来ず宗家が介入し、
僅か8年で強制的に隠居させられました。
その後は花岡山の隠居屋敷で過ごし、
安政6年に死去しています。


静観院殿正二位勲二等
 萬物自得大居士之墖(右)」、
諸昭院殿壽徳窃明大姉之墖(左)」。
13代藩主鍋島直彬と正室葛子の墓。
10代直永の三男として生まれ、
12代直賢が強制的に隠居させられた為、
その養子として数え家督を相続。
露国のプチャーチンの長崎来航では、
長崎の警備を担当していました。
藩校徳譲館弘文館と改称して充実させ、
藩士子弟に文武を奨励。
幕末の動乱期には宗家の名代となっており、
朝廷との交渉役を務めました。
明治維新後は米国留学を経て、
初代沖縄県知事となっています。


覚性院殿従三位勲四等
 全機直縄大居士之墖
(右)」、
朝政院殿徳顔梅光大姉霊位(左)」。
14代当主鍋島直縄と妻政子の墓。
佐賀藩最後の藩主鍋島直大の子で、
13代直彬の養子となって家督を相続。
佐賀百六銀行頭取を務めた他、
貴族院議員内務政務次官を務めています。

現在の寺院は檀家を増やすか、
または観光収入を得るかしなければ、
その経営は成り立ちません。
藩主家菩提寺は維新後にその庇護を失い、
一般檀家を受け入れるか、
廃寺となるかを迫られるわけですが、
普明寺は藩主家菩提寺を貫いたようです。

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