松浦武四郎「北海道」を名付けた人物

本日のNHK「歴史秘話ヒストリア」は、松浦武四郎を扱っていました。
知る人ぞ知る蝦夷地を「北海道」と名付けた人物ですね。


松浦武四郎

「歴史秘話ヒストリア」を視てない人に簡単に説明すると、
伊勢の庄屋の四男として生まれた武四郎は、
その土地柄、お伊勢参りの旅人に幼少の頃から接してきました。

武四郎は旅に憧れ、ついに家出して諸国を遊歴して歩きます。
滞在先の長崎で病気となり、その事がきっかけで仏門に入るのですが、
蝦夷地がロシアに脅かされている」という噂を聞き、
俗世に戻って蝦夷地に探検に出かけます。
でもこれは「憂国」の考えよりも、旅をする理由付けだったような気がします。

蝦夷地では、現地のアイヌに道案内を頼み、蝦夷地全土を探検します。
そこで蝦夷地を支配する松前藩の圧政や、豊富な海産物に目をつけた商人たちによって、
アイヌがおかれている過酷な状況を知ります。

武四郎は、蝦夷やアイヌ関連の書籍を数多く出版し、
蝦夷やアイヌの状況を全国に知らせました。
いつしか武四郎は、蝦夷地に関する第一人者として認められるようになります。

明治に入り、新政府に蝦夷地の開拓使が置かれ、武四郎は開拓判官として出仕。
武四郎はアイヌの保護を訴えますが、
アイヌの労働力を欲する商人達などの抵抗勢力に邪魔されてしまいます。
孤軍奮闘ではどうする事も出来ない武四郎は、開拓使のあり方を批判し辞任。

以後、一度も北海道に行くことは無く、余生を過ごしました。

こういう人物ですが、この人は結構幕末志士達と交流を持っていたりします。
蝦夷地に詳しいという事、ロシアの脅威を感じて海防への意識もある事、
これらが知られ、蝦夷地における第一人者とされていましたので、
憂国の志士が武四郎を訪ねました。
水戸藩の会澤正志斎藤田東湖
悪謀四天王と呼ばれた頼三樹三郎池内大学梁川星厳梅田雲浜
薩摩藩の大久保利通西郷隆盛。その他、仙台藩士、宇和島藩士や幕臣など、
多数の者が武四郎に会いに来て、海防や蝦夷地について語り合っています。

吉田松陰も武四郎に会いに来ています。
武四郎の家を訪ねた松陰は、夜更けまで海防問題について語り合いました。
武四郎の家には布団がひとつだけだったので、
二人でひとつの布団に寝たという松陰の日記が残されています。

旅好きが高じて蝦夷地の第一人者・・・・。
武四郎は尊皇や攘夷といった思想があったとは思えません。
趣味人だったのではないでしょうか?

とはいえ、事を成すには思想家(素人)だけでは成り立ちません。
武四郎のような趣味人が、専門家(玄人)として役に立つ。
面白いですねぇ。

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