柞原八幡宮は大分市にある豊後国一宮。
天長4年(827)に延暦寺の僧金亀が、
宇佐八幡に千日間籠って神告を蒙り、
柞原山に勧請したのが起源とされます。
中世以降は大友家や歴代領主の崇敬を受け、
豊後国一宮を称するようになったようで、
同じく一宮を称した西寒多神社と、
近世まで論争があったという。
「南大門(日暮門)」。
参道途中に建つ南大門。
明治3年に再建されたもので、
日暮門とも別称されるこの門には、
随所に見事な装飾彫刻が施されています。
国指定重要文化財。
南大門を過ぎると参道は一般参道と、
勅使道に分かれており、
一般の参拝は西門へ向かいますが、
勅使道は閉じられた楼門に至ります。
「楼門」。
宝暦10年(1760)に建立された楼門で、
左右の回廊は寛政10年(1798)頃の建立。
こちらも国指定重要文化財。
「西門」。
切妻造四脚門の西門で江戸時代末期の建立。
国指定重要文化財。
「本殿」。
残念ながら本殿は改装中。
八幡造社殿との事ですが拝見出来ず。
本殿は嘉永3年の再建とのこと。
本殿含むこれらの建物は、
寛延2年(1749)に焼失しているようで、
その後に順次再建されたものという。
「申殿」及び「拝殿」。
参拝は靴を脱いで西回廊に上がり、
先程の楼門内より参拝します。
双方共に切妻造妻入りのもので、
申殿は宝暦2年(1752年)頃に、
拝殿は宝暦9年(1759年)頃にそれぞれ再建。
これらも国指定重要文化財です。
承和3年(836)に右大臣清原夏野が勅を奉じ、
社殿の造営をさせており、
国司大江宇久がこれにあたりました。
それ以降は国司の厚い崇敬を受け、
皇室にも厚く尊崇されたという。
嘉承3年(1108)に勅使の参向もあり、
社地の境界を定めて税を免ぜられ、
仁平3年(1153)には鳥羽法皇により、
その神領を定められています。
源範頼も平氏追討を祈願しており、
以降の領主や武家の崇敬厚く、
社家200余、坊舎30を数えましたが、
大友宗麟の排撃を受けて一時衰退。
※宗麟はキリシタン大名。
それでも江戸期には府内藩より保護を受け、
再び隆盛していたようです。
■関連記事■
・大分県宇佐市 宇佐神宮
豊前国一宮。八幡社総本宮。
・宮崎県児湯郡 都農神社
日向国一宮。
・福岡県福岡市 住吉神社
筑前国一宮。