続き。
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試撃行の道筋2
①8月29日。早朝出発。
松戸駅で一月寺を見る。
※「一月寺 所謂 僧寺也」
一月寺 いわゆる(空白)僧寺なりと、
晋作は記しています。一月寺は、普化宗金先派総本山で、
空白は「虚無」のが入ると思われますが、
あえて空白にしたのは、虚無僧は幕府の隠密や、
無頼の徒が変装することもあったので、
差別的な隠語を入れる気だったのかも?
②小金駅に看板が立っていた。
「ここは水戸候が鷹狩をする場所である」
徳川斉昭が冤罪を被った際、水戸藩士数人が江戸へ向かい、
幕府を正そうとして同藩士に制止され、
慷慨義憤のあまり切腹したということを思い出し、
ここを通過する時に自分もそうありたいと感涙する。
※戊午の密勅に関連した小金屯集での事と思われます。
馬を借りて乗る。気分が良くなって詩を吟じれば、
馬子がそれに合わせて歌う。旅先での楽しい出来事だった。
※なんとも微笑ましく風流な情景です。
こういう感性は松陰の書にはありませんね。
③安彦駅で馬を下り食事を取る。
利根川を渡って進み、藤代駅に到着。
※「安彦」駅は「我孫子」駅の事。
④藤代駅を過ぎて歩いていると、旅の一行が声を掛けてきた。
「牛久まで二里ですが、近道なら一里ちょっとで行けます。
一緒にいきませんか?」というので同行する。
小渓を進んで13~4丁行くと、牛沼という湖が見えた。
渡舟料を払って渡舟に乗って進み、牛久駅に到着。宿泊する。
※旅の一行がどういう身分の人間かはわかりませんが、
武士ではないでしょう。
間道は物騒なので、武士の晋作を誘ったのかも?
このあたりは山口筑前守(牛久藩)の領地。
人家は他の駅と比べて、一番廃れているようだ。
小藩の政事は、領地の隅々までは行き渡らないようである。
※牛久藩は1万石の小藩。実は藩主の山口家は大内氏の末裔で、
大内氏はもともと長州藩の領地である周防・長門の大名でした。
晋作の主家である毛利家が滅ぼした一族の末裔であるとは、
たぶん晋作はそこまでは知らなかったのでしょう。
この夜、雨が降りだし、宿に宿泊する旅人が雨具の用意をしている。
宿の者は「秋時雨は夜に必ず振りますが、朝には止みます」と言った。
続く。
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