試撃行日譜④

続き。
///④///

晋作は笠間藩で初めて名士加藤有隣を訪問。

9月3日
早く起きて加藤先生を訪ねると、
書楼へ招いてくれた。
十三山書楼という書楼で、
三方の山峰が13ある事に由来する。
先生は元々水戸人だったが、
笠間藩の加藤家に養子に入った。
和漢古書に精通し、済経の才能もあり、
藩主の為に政務を行うが、
笠間藩は譜代で俗論家が多く、
その連中に妬まれ政務から外される。
今は総髪老成となり、
質素で清らかな暮らしをしており、
浩然の気を養っている。
他方の有志が訪問すると書楼に案内して、
必ず天下の事を論じるようだ。

七言古詩を作ってみせると先生は大いに喜ぶ。
静かに座って語り合う。
話題は天下の事で大いに力を得た。
話しは興に乗って尽きなかったが、
夕日は既に落ちて夜風が書楼に入ってくる。
辞去を願うと先生は一冊の本を出してきた。
先生が最近作った詩集である。
先生は晩飯を出してくれて、
それから再三論談をくりかえし、
詩集を借りて急いで宿に戻った。
先生の詩は浮ついたものや、
中身がないものとは異なる。
慷慨激烈で読んだ者はその人物を知るだろう。
天下の形勢を知る事も出来る。
読み終わる前に、暁鐘が鳴るのが聞こえた。

9月4日。寝る暇も無く顔を洗い、
朝食後に加藤先生の許へ。
別れの挨拶をすると、
先生は自分を気に入ってくれた様子で、
書楼に誘い入れてくれた。
話は盛り上がって、時が経つのを忘れてしまう。
先生はまた食事を御馳走してくれた。
出来ることならば留まりたいとこだが、
君命には逆らえないので辞去する。
僅かな時間ながら長年の師を別れる思いだった。
※長い文章になりましたが、
 晋作の感激を知ってもらうには、
 全部読んでもらう他ないでしょう。
 晋作を気に入ったのは間違いないでしょうが、
 他客にどのように接していたかは不明なので、
 毎回このような感じかもしれません。
 有隣は後に長州藩に召還され、

 藩校明倫館水戸学を教え、
 私塾を開いて藩士子弟を育てています。
 有隣にとってもこの出会いは、

 運命を左右する大きなものとなりました。

十三山のひとつ南台山は、
その昔、勤皇の地であった。
先生がその書楼をこの地に置いた所以である。
①加藤先生の楼を辞して1~2里行くと、
雨が降り、風雲が起きた。
十三山も暗くなって見えない。
先生の引きとめる気持ちが、
十三山に反応したようである。
大泉駅に到着。宿にする。
ここは旗本某の領地で、
人家は少なく旅館はさらに無い。
仕方なく民家に泊めてもらったが、
夜中に博徒が三人来て隣で寝た。
※大泉駅というのはどこか確証は持てませんが、
 茨城県桜川市大泉だと思われます。

 夜中に博徒が来たってのは面白い。
 賭場で博打を打った帰りだったんでしょうか?


9月5日
大泉駅を出発。雲が出てるが雨は降っていない。
山渓を数里歩いて③毛賀駅に到着。
ここは天領で人家が密集して町になっている。
地元民曰く
ここは四方より人が集まるので賑やかです。
昔は散財する人が多くいて、

市街は賑わっていましたが、
最近は景気が悪く散財する人もいないので、

寂れてしまった
※毛賀という地名はこの辺に無い。
 栃木県芳賀郡芳賀町ではないかと思います。

毛賀駅を出て山に登る。
山の上は原野や森ばかり。
4~5里周辺に人家は無い。
宇都宮までは5~6里はみな原野であった。
宇都宮に到着。戸田播磨守の領地だが、
他藩の人間に試合をしてくれる者もいない。
江戸の浪人が民に乱暴でも働いているからか?
仕方なく宿をとる。
城下は賑わっていて人家も密集しているが、
民は都会の悪習に染まり、藩士は軽薄である。
情けなく失笑である。
※晋作、怒っています。
 試合を断わられたのは初めてではないのに、
 ここまで怒るってことは、

 断わり方が良くなかったのか?
 宇都宮藩は尊攘派藩士も多いはずですが・・。
 まあこういうのって対応した藩士の態度が、

 藩全体のデフォルトになりますから、
 対応した藩士が相当だったのでしょう。

 田舎者扱いでもされたんでしょうね。

9月4日~5日の行程
続く。

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