このブログ[試撃行]のタイトルは、
高杉晋作の日記[試撃行日譜]より拝借。
そういうわけで試撃行日譜を取り上げねば!
・・と思いつつ現在に至っておりましたが、
松陰の日記を2回も取り上げたことですし、
次は晋作のものをということで、
試撃行日譜について触れたいと思います。
丙辰丸での江戸までの航海演習を終え、
航海術は向いていないと投げ出した晋作は、
そのまま早々に萩に帰ったのでは、
藩主や萩の人々に会わせる顔が無いと、
江戸での遊学許可を申請しました。
しかし藩の許可がおりる前に、
父より萩への帰郷の催促があり、
仕方なく帰る事になります。
どうせ帰るなら寄道して見聞を深めたいと、
藩に申請するとあっさり許可。
そこで勇んで出発し、
北関東、信州、北陸方面を遊学し、
2か月余をかけて萩に帰ります。
この道中の旅日記が試撃行日譜でした。
[奇士偉士をたずねること]を目的とし、
具体的に加藤有隣、佐久間象山、
横井平四郎、吉村秋陽を挙げ、
彼等に教えを乞い、名山や大川を見て、
詩や歌を詠じ、諸藩の藩校を訪ね、
試合し討論する。そして自分の英気を養い、
航海を投げ出した罪を償おうとします。
そうは言っていますが、
松陰が全国遊学したのを知っているので、
単純に自分もそんな旅をしてみたいと、
晋作は考えたのではないでしょうか?
そんな気がしますね。
万延元年8月28日。早朝。
①桜田藩邸の義父井上平右衛門を訪問し、
出発の挨拶。友人に送られて出発。
※やはり義父への挨拶は必要でしょう。
特に新婚なんですから。
「できるだけ早く帰ります」とか、
そんなことを言ったんでしょうね。
②浅草の酒店に入って別れの杯を交わす。
③小塚原にある先生の墓に参って出発を報告。
千住への道中、馬を駆る武士がやってきて、
これを見ると桂小五郎であった。
桂は出発を見送るつもりだったが、
公務で遅れてしまった為、
急いで駆け付けたのだという。
※馬に乗って追いかけて来るなんて、
なんともドラマチックな演出。
桂が兄貴分として慕われた理由でしょう。
④千住に到着。
送ってくれた友人と別れ常州街道を進む。
中川を渡って⑤新宿駅で宿泊。
※友人との涙の別れ。
旅先で死んでしまうこともあったし、
今の旅行のお見送りとは、
全然感覚が違ったのでしょう。
見送ってくれた友人は、
唐津藩士の大野又七郎(右仲)、
長州藩士の桂小五郎、久坂玄瑞、
楢崎弥八郎、南亀五郎、三浦音祐で、
皆、親しい真の友人である。
※長州藩士の他に唐津藩士大野右仲がいます。
大野は昌平坂学問所で知り合った学友で、
晋作とはウマが合ったようです。
後の小倉戦争で唐津藩は敵となり、
晋作は敵側の総司令官となるわけですが、
大野は旧友をどう思っていたのでしょう?
(小倉戦争時の大野の所在は不明)
その後の大野は小笠原長行に従っており、
箱館戦争まで従軍しています。
会津で土方歳三に会って共鳴したようで、
仙台で同志と共に新選組に加わり、
陸軍奉行添役として二俣口で奮戦。
土方の最期の戦いにも参加しています。
8月28日の行程
続く。
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