慶応3年4月。山縣狂介(有朋)は、
湯玉の庄屋石川良平の長女お友と結婚。
※石川良平は後に下関市長となっています。
婚礼は4月11日より始まり、
12日には宴が開かれました。
婚礼の場所は正確には判っていませんが、
下関でも吉田でも無い場所なので、
石川良平宅ではないかと思われます。
その石川良平宅の場所が、
イマイチよくわからない。
豊浦町史二「宇賀の今昔」に、… 続きを読む
慶応3年4月。山縣狂介(有朋)は、
湯玉の庄屋石川良平の長女お友と結婚。
※石川良平は後に下関市長となっています。
婚礼は4月11日より始まり、
12日には宴が開かれました。
婚礼の場所は正確には判っていませんが、
下関でも吉田でも無い場所なので、
石川良平宅ではないかと思われます。
その石川良平宅の場所が、
イマイチよくわからない。
豊浦町史二「宇賀の今昔」に、… 続きを読む
誘惑に弱い人というのは結構いるもので、
現在でも酒、女、ギャンブル等にハマって、
首が回らなくなるロクデナシはいるもの。
奇兵隊出身の商人山城屋和助は、
たぶんそういう人物でした。
山城屋和助(野村三千三… 続きを読む
橋本川に架かる萩バイパスの橋と、
橋本橋の間の土手に厳島神社の跡があります。
その手前を下ると正面に、
山縣有朋の誕生地がありました。
「元帥公爵山縣有朋誕生地」。
閑静な住宅街の一画にある巨大な石碑。
山縣有朋は中間山県有稔の長男として生まれ、
奇兵隊軍監となって頭角を表し頭角を現わし、… 続きを読む