忌宮神社は長府にある長門国二宮。
由緒としては一宮レベルなのですが、
長門国には住吉神社がありますので、
一宮の座を譲ってはいますが、
長門では住吉神社と同格とみなされました。
境内は仲哀天皇の行宮豊浦宮の跡地であり、
足利尊氏の戦勝祈願でも知られます。
「忌宮神社」。
熊襲征討の際の行宮豊浦宮の跡とされ、
※熊襲は朝廷に反抗した九州南部の部族。
熊襲が塵輪の扇動で豊浦宮を襲撃した際、
※塵輪は翼を持つ新羅の鬼。
仲哀天皇自らが弓矢で塵輪を射抜き、
迫りくる熊襲を撃退したとされます。
「数方庭祭」の様子。
その塵輪の首を埋めた場所が境内にあり、
その上にある鬼石と呼ばれる石の周りを、
大竹を担いで周る天下の奇祭数方庭祭は、
この忌宮神社で行われます。
※写真はネットより拝借。
「忌宮神社拝殿」。
仲哀天皇は豊浦宮で7年間政務した後、
熊襲討伐の為に香椎まで進出しましたが、
熊襲の矢に当たって崩御してしまい、
残された神功皇后が熊襲を滅ぼしました。
その後に豊浦宮に仲哀天皇を祀ったのが、
忌宮神社の起源となっています。
その後、神功皇后は朝鮮半島にも攻め込み、
新羅、高句麗、百済を降伏させています。
※三韓討伐。
「宝物館」。
ここには中々の宝物があります。
「狩野芳崖奉納の絵馬」。
近代日本画の父狩野芳崖の書いた絵馬。
狩野は長府藩御用絵師の家柄でした。
能面・狂言面。
沢山の種類があり見てて飽きません。
「大太刀」。
全長236.7cmの巨大な大太刀。
二人で持って騎馬を攻撃する特殊な武器。
漫画に出てくるような巨大なもので、
これは室町時代のものだという。
普通の刀が70cm位だと考えると、
その巨大さがわかるかと思います。
ちなみに日本最長の大太刀は、
同じく山口県にある破邪の御太刀で、
下松市の花岡八幡宮に現存しており、
全長は465.5cmもあるという。
「集童場場長室」。
境内に移築されている集童場の場長室。
集童場は「長府の松下村塾」とも呼ばれ、
身分を問わず15歳以下の若者を教育し、
優秀な人材を輩出しています。
以下が主な門下生。
・乃木希典(陸軍大将、元学習院長)
・桂 弥一(長府博物館創立者)
・服部潜蔵(海軍大佐)
・瀧川辨三(マッチ王)
・福原和勝(陸軍参謀、陸軍大佐)
『熊野則之君記念之碑」。
熊野則之は修童場場長だった人物で、
長府報国隊の参謀や軍監も務めており、
小倉戦争や北越戦争で活躍しますが、
越後今町の戦いで戦死しました。
この碑は明治二十年に建てられたもので、
揮毫は山県有朋です。
この他にも境内には石碑が多く、
蚕種渡来之碑、家塾桜柳亭之碑、
豊浦宮皇居跡記念碑、
数方庭由来之碑等あります。
■関連記事■
・下関市長府 功山寺/福田扇馬墓所
集童場の前身桜柳亭の創始者の墓。
・下関市一の宮 住吉神社
長門国一宮は住吉神社。
・下関市長府 豊功神社
長府報国隊の顕彰碑があります。
・下関市長府 乃木神社
長府にある乃木神社。