山口県宇部市 岡崎八幡宮

岡崎八幡宮船木産土神
船木は神功皇后三韓征伐の際、
この地に生えていた楠の大木を斬り倒し、
48艘の軍船を造らせたとされ、
この事から船木という地名になったという。
その後、光仁天皇の勅使として和気清麻呂が、
八幡総本宮宇佐八幡宮へ下向した道中で、
船木に立ち寄って上記の神功皇后との縁を聞き、
皇后のゆかりの地として帰路の際、
宇佐八幡宮の分神を鎮祭しました。
これが岡崎八幡宮の由緒です。


一ノ鳥居」。
旧山陽道沿いにある大鳥居。
この前に船木宰判高札場がありました。
岡崎八幡宮には九州征伐に向かう豊臣秀吉も、
幣を奉めて祭祀をなしたとされ、
江戸時代には長崎に赴任する長崎奉行や、
参勤交代の九州諸大名も参拝しており、
道中の安全祈願をしていたようです。
御利益が交通安全となっているのはその為。


拝殿」。
境内には樹齢7~8百年の大クスノキがあり、
高さは約20m、幹周は4.4mという。
社殿は度々焼失を繰り返していますが、
大内義弘大内義隆などが再建しており、
神田などを寄進しました。
しかし大内家家臣陶春賢の反乱で焼失し、
後に同じく大内家家臣杉重良がこれを再興。
その後は毛利家にも崇敬も受けて、
数度の社殿などの修復も行われた他、
毎年42石の酒米も献納されたという。


御神酒醸造殿」。
神功皇后はこのあたりで米造りを習ったとされ、
御手植えの米御神酒が造られたという。
現在は明治期に定められた酒税法との関係から、
御神酒を造ることが許可された神社は、
全国で44社だけ。
その中でも清酒造りが認められているのは、
伊勢神宮出雲大社莫越山神社と、
この岡崎八幡宮の4社のみです。
※他の神社はどぶろくなど。

このような由緒正しき八幡宮であり、
旧山陽道沿いの宿場町にあった為、
幕末期には志士達も参拝したと思われます。

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