現在の苅田町はトヨタ、日産等、
多くの工場が立地する臨海工業地帯で、
苅田港沖には北九州空港も開港。
その為に非常に財政が豊かなようで、
地方交付税が不交付になっているという。
この大きく発展した町は江戸時代、
中津街道の宿場がありました。
京都郡苅田町周辺。緑の線が街道筋。
青でぼかした辺りが苅田宿跡。
「苅田宿跡」。
街道筋には古そうな家はありますが、
江戸期のものは無さそうです。
菱屋平七の「筑紫紀行」によると、
苅田宿は人家60軒程で漁師や農民が多く、
宿屋は少なかったという。
本陣は問屋を営む林田五郎左右衛門邸で、
※場所は不明。
その座敷は広々としていて、
縁先より周防灘が見渡せたようです。
■中津街道の宿場町
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