現在の七尾市街は昔より所口と呼ばれ、
古来より港があって栄えていたという。
七尾の名称は七尾城に由来し、
城地に7つの尾根があった為に、
七尾城と名付けられたようです。
前田利家が能登一国を拝領されると、
難攻不落の山城である七尾城を廃城させ、
所口湊に近い小丸山に平山城を築き、
そこに城下町を整備しました。
利家が居城を金沢城に移した後は、
能登支配の拠点として小丸山城代が置かれ、
一国一城令で小丸山城が廃城となると、
所口奉行所が置かれています。
この所口は内浦街道の始点である他、
七尾街道の終点となっており、
二つの街道が接続する交通の要所で、
その街道筋は一本杉通りと呼ばれました。
「一本杉通り」。
商店が立ち並ぶ整備された通りですが、
有形文化財に登録された町屋が多く残り、
道行く人を楽しませてくれます。
一本杉通りの名の由来は、
街道筋に立つ杉が出会いの一本杉と呼ばれ、
旅の目印として親しまれていた事から、
一本杉通りと呼ばれるようになったようで、
江戸初期の町絵図にも記載されているとの事。
その一本杉は既にありませんが、
名前はそのまま受け継がれたようです。
通りには多くの袖壁付の町家が残り、
栄えていたという印象を受けます。
現在も商売をしている町家も多いようです。
所口湊が北前船の寄港地であった他、
奥能登への玄関口の宿場として栄えました。
「曳山」。
通りを歩いていると曳山に遭遇。
市街で行われる青柏祭(でか山)で使用され、
日本一の巨大さを誇るようです。
一本杉通りから小丸山城跡へ。
「前田利家松子之像」。
小丸山の麓に建てられた銅像。
大河ドラマ利家とまつの放送決定を受け、
市民の寄付等によって建立されたもの。
小丸山城跡へ。
「前田利家小丸山城址」。
小丸山城址ならぬ前田利家小丸山城址・・。
前田利家を付けたかったのでしょうね。
「本丸跡」。
小丸山城跡は小丸山城址公園となっており、
市民に親しまれる公園となっています。
桜やツツジの名所でもあるという。
「堀切」。
城跡としては公園化されているので、
遺構はあまりないようですが、
堀切や櫓台などが残っており、
少なからず痕跡は感じられましたが、
江戸期以前の城なのでさらっと見学。
所口湊には後に加賀藩の軍艦所も設置され、
藩の軍事拠点にもなっています。
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加賀百万石の城下町。