石川県金沢市 金沢城③

つづき。
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本丸跡を降りて、
三十間長屋の裏手から下ります。

玉泉院丸庭園」。
2代藩主前田利長の死後、正室永姫は剃髪。
玉泉院を号して西ノ丸に屋敷構えて隠居し、
以降の西ノ丸は玉泉院丸と呼ばれました。
3代藩主前田利常は、この玉泉院丸に庭園を造営し、
休憩所として利用。歴代藩主もここを利用し、
5代藩主前田綱紀や13代藩主前田斉泰によって、
庭園や建物の改修も行われました。
明治期に廃絶されましたが、5年に及ぶ発掘調査を経て、
平成27年に再現されています。

玉泉院丸庭園は上から眺めるだけにして、
そのまま二ノ丸跡へ戻り、北西側の一段低い場所へ。

旧陸軍第六旅団司令部」。
金沢城も廃城後は陸軍の管轄になっており、
第六旅団の司令部が置かれました。
木造平家建のそれほど大きくない建物です。
この場所には藩政時代、
御殿に努める女中が詰めた数奇屋敷ありました。


石垣には、色々な刻印が刻まれています。
たぶん身分の低い者達しかいない場所なので、
こういう風に刻印丸出しの石垣になったのでは?

切手門(女中が切手を見せて通った)」を通り、
二ノ丸跡の外側をまわって三ノ丸跡へ戻る。
そこから河北門を通って新丸へ下ります。

河北門」。
今回は石川門より登城しましたが、こっちが三ノ丸の正門。
この門も高麗門櫓門枡形虎口になってはいますが、
珍しく櫓門は左手に配置されています。
※通常は右利きが多いので、右にニの門を配置して、
 攻撃しにくい設計にする。

この河北門と石川門、橋爪門は、
金沢城三御門」と呼ばれました。
平成22年に再建。


新丸跡」。
新丸は文字通り新しい曲輪という意味で、
2代藩主利長の時代に新たに拡張されたもの。
城内補修を司る作事所や、
勤番藩士の食事を作る下台所
政務が行われた越後屋敷があったようで、
面積は城内で最大の広さがあります。


大手門跡」。
新丸北側の大手門跡。
金沢城の大手門は尾坂門と呼ばれていました。
こちらは門や櫓は再建されておらず、
木々も多くて目立ちませんが、
実はなかなか巨大な枡形虎口です。


大手堀」。
金沢城の外堀は廃城後は次々と埋め立てられ、
残ったのは北側のみです。
堀の内側の石垣の高さは圧巻ですね。


一通り散策が終了。
駐車場のある兼六園側へ戻る為に、
もう一度城内に戻ります。
振り返ると後光が差していたので、写真を撮りました。
金沢城はこれからも再建が進むようですが、
日本にひとつくらい全てを再建して、
当時を再現できるような城があっても良いと思う。
未来の金沢城がそれに当てはまりそうですが、
その未来を象徴するような光でした。

【加賀藩】
藩庁:金沢城
藩主家:前田宗家
分類:102万5000石、外様大名(国持)

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