愛媛県宇和島市 大乗寺/吉田藩伊達家墓所

大乗寺は宇和島市吉田にある臨済宗の寺院。
創建年次は不祥のようですが、
応永30年(1423)頃という説もあります。


大乗寺」。
伊予吉田藩初代藩主伊達宗純は、
万治元年(1658)に太易禅師を中興開山とし、
大乗寺を再建して菩提所としたようです。


本堂」。
大乗寺は四国唯一の臨済宗妙心寺派の道場。
写真の門は藩主の出入りした門とのこと。
境内が美しい寺院です。


伊達家墓所」。
本堂裏手を登った場所にある伊達家墓所
平成30年の西日本豪雨で裏山が崩落し、
土砂で石塔や柵、灯籠が壊れたようで、
地元ボランティアの努力により、
元に戻されたようです。


爲等覚寺殿前遠州太守拾遺
 廣山玄公大居士菩提也
」。
宇和島藩初代藩主伊達秀宗の供養塔。
初代藩主宗純によって建立されたもの。
秀宗は宗純を寵愛していたとされ、
隠居する際に3万石を与えています。


大乘寺殿前朝散太夫
 工部鎮山宗護大居士
」。
伊予吉田藩初代藩主伊達秀純の墓。
宇和島藩初代秀宗の五男として生まれ、
3万石を分与されて伊予吉田藩を立藩。
宇和島藩はこれによって10万石から、
7万石となった為に家格が下がり、
宇和島藩士らは不服であったようです。
この為に遺言書偽造等の陰謀説が広まり、
両家は対立するに至りました。
しかし宗純が登用した浪人山田仲左衛門が、
藩政を掌握した為に家臣達が反発し、
総宗家である仙台藩伊達家に直訴した為、
仙台藩、宇和島藩が騒動に関与するに至り、
山田仲左衛門が失脚して騒動は収束。
事後処理に宇和島藩が関わった事から、
両者の関係は修復するに至り、
健全な宗藩と支藩の関係が築かれました。
元禄4年に隠居しており、
17年の隠居暮らしの後に死去。


大淵院殿前若州太守澤翁真龍大居士」。
3代藩主伊達村豊の墓。
秀宗の七男伊達宗職の次男として生まれ、
2代伊達宗保の養嫡子となり、
12歳で家督を継ぎました。
※初名は宗春。後に村豊に改称。
浅野長矩松の廊下刃傷事件の際、
同じく饗応役に任じられており、
凶事の際は長矩の取り押さえに参加。
その後の饗応も無事に務めています。
44年の治世の後に死去。


大灋院殿前紀州太守注巖宗義大居士」。
7代藩主伊達宗翰の墓。
宇和島藩6代伊達村寿の四男に生まれ、
6代伊達村芳の婿養子となりました。
養父の隠居に伴い家督を相続。
財政再建の為に倹約令を出し、
藩士に内職を推奨しています。
27年の治世の後に隠居。
その2年後に死去しました。

大乗寺には歴代の墓があったようですが、
昭和31年に何らかの理由で搬出されて、
県内の別の場所にあるらしい。
※理由については不明ですが、
 なんとなく推測できますね。

これらは郷土史家らが行方を探し出し、
持ち主に返還を求めているらしく、
その努力があって平成21年に、
2代伊達宗保の墓碑が返還されており、
玉垣の外に仮置されています。

左の五輪塔が2代伊達宗保の墓碑。
宗保は初代宗純の次男として生まれ、
父の隠居に伴い家督を相続しますが、
僅か2年で死去しました。

4~6代も行方が判明しているようで、
有志が返還に尽力しているらしい。
うまくいくように願っております。

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