文久3年に長州藩は萩の指月城より、
山口政事堂(山口屋形)に藩庁を移鎮。
それに伴い対外的な応接所として、
慶応3年に山口客館が完成しています。
「山口地方裁判所(山口御客屋跡)」。
現在の山口客館の跡は裁判所の敷地。
敷地内に山口客館跡碑があり、
勅使門が常栄寺に移築されています。
山口県山口市 常栄寺
藩主の居城となる山口政事堂は、
元治元年10月に竣工しますが、
藩主毛利敬親は湯治を名目に、
文久3年4月に山口に入っており、
山口御茶屋に居住していました。
この御茶屋内には宰判勘場も設けられおり、
普段の藩主宿泊時には場所を明け渡し、
近くの町屋で業務を行っていたようです。
そのような状態で藩主が長期滞在した為、
山口客館の敷地内に勘場を移転。
※同時に町奉行所も移転。
客館の完成を待たずに業務を開始しています。
山口客館差図。
■関連記事■
・山口県山口市 山口政事堂跡
萩より藩庁を移転して本拠とした城。
・山口県山口市 御茶屋跡/山口宰判勘場跡
藩主の宿泊所兼宰判勘場。
・萩市 指月城跡
山口政事堂に移転する前の長州藩の藩庁。