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つづき。
何故か7代の墓だけは右手の高い位置。
「法林院殿徳譽宗哲勇進大居士」。
7代藩主島津久柄の墓。
6代島津忠雅の三男として生まれ、
父の隠居に伴い家督を相続します。
領内で地震が2度も発生しており、
大きな被害が出ました。
そんな状況で家臣団の権力争いも発生。
藩政は多難を極めていたようです。
「徳壽院殿仁譽崇興翫山大居士」。
8代藩主島津忠持の墓。
7代久柄の三男として生まれ、
父の隠居に伴い家督を相続。
倹約令や藩士の半知で財政再建を図り、
一定の成果を出しました。
31年の治世の後に隠居しており、
15年の隠居生活をしています。
以降の藩主は左の石段の上。
「徳元院殿眞譽實道鶴山大居士」。
9代藩主島津忠徹の墓。
8代忠持の長男として生まれ、
父の隠居に伴いより家督を相続しました。
文治政治を奨励した為に派閥抗争が発生。
宗家も介入する事態に発展した末、
文治派が勝利しています。
藩札発行や専売制導入を行い、
これらが上手く機能して財政再建に成功。
しかし参勤交代中に病に倒れ、
近江の草津宿本陣で死亡しています。
その死は後継が決定するまで秘匿され、
三男島津忠寛の相続が確定した翌日に、
その死が公表されました。
「忠愛院殿正寛良道大居士」。
10代藩主島津忠寛の墓。
9忠徹の三男として生まれ、
父の急死により急遽家督を相続。
開明的な藩主だったようで、
財政や軍政の改革を行っており、
幕末期は宗家の薩摩藩に従属しました。
廃藩置県後は東京に移住しており、
明治29年に死去しています。
「昌徳院殿盛譽貫中亮道大居士」。
11代当主島津忠亮の墓。
11代藩主忠寛の長男に生まれ、
明治2年に弟らと米国に留学。
次弟は旧大村藩主家を継いだ大村純雄で、
末弟に西南戦争で佐土原隊を率いて参加し、
城山で戦死した島津啓次郎がいます。
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