景福寺は姫路市にある曹洞宗の寺院。
総持寺五世通幻寂霊禅師が開山し、
川辺郡猪名川に景福寺を創建していますが、
慶長7年(1602)に池田輝政が姫路に移され、
叔父で重臣の荒尾隆重もこれに従った際、
隆重は景福寺11世太桂和尚に懇情して、
姫路に景福寺を創建させました。
その翌年に輝政の次男池田忠継が、
岡山藩に封じられるに伴い、
忠継の後見役として隆重が指名され、
岡山藩に移籍することになりました。
この為に姫路景福寺の直岩和尚に懇情し、
今度は岡山に景福寺を創建。
更に池田光仲が鳥取藩に移封されると、
荒尾家当主荒尾嵩就が後見役となり、
鳥取にも景福寺が創建されます。
こうして猪名川、姫路、岡山、鳥取と、
四つの景福寺が並隆する事となりました。
姫路藩は藩主家の入れ替わりが激しく、
池田家の後には忠勝流本多家(1回目)、
奥平松平家、前橋松平家(1回目)、
榊原家(1回目)、前橋松平家(2回目)、
榊原家(2回目)、前橋松平家(3回目)、
忠勝流本多家(2回目)、
酒井雅楽頭家と変わりましたが、
開山以来歴代藩主家から庇護されています。
「山門」。
享保17年(1732)の建立の山門で、
左右に配置された仁王像は鎌倉期の作。
山門前の右側にある酒井家の墓所。
「貞勝院殿恒徳順承大姉(左)」、
「喜光院殿常照明宣大姉(中央)」、
「晴光院殿済月静允大姉(右)」。
8代藩主酒井忠績正室婉姫(貞勝院)の墓、
6代藩主酒井忠寶正室喜曾姫(喜光院)の墓、
5代藩主酒井忠学正室喜代姫(晴光院)の墓。
景福寺は酒井雅楽頭家の菩提寺となり、
奥方や子女の墓が建てられています。
奥方の墓の東側は6基の子女の墓。
「本堂」。
本堂は昭和期の再建で、
姫路城大手門を設計した藤原義一の設計。
次回は裏手の景福寺山にある墓地へ。
藩主松平明矩や姫路藩士の墓を参拝します。
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