景福寺の墓地は裏手の景福寺山。
幕末姫路藩士の墓も多くありましたが、
これは別記事とするとして、
頂上付近にある松平明矩の墓所へ。
「姫路藩主松平明矩墓所」。
訪問時は初夏で草木が生い茂り、
蚊もかなり多くて苔掃も大変ですが、
案内板も設置されていましたので、
なんとか辿り着きました。
「正眼院殿廓然無聖大居士塔(五輪塔)」、
「播山康公墓碑(墓前亀趺碑)」。
姫路藩前橋(越前)松平家初代(3回目)、
前橋(越前)松平家4代松平明矩の墓。
白河新田藩初代松平知清の長男に生まれ、
父を跡を継いで新田藩主となりました。
しかし前橋宗家の松平基知に継嗣がなく、
その養子となって白河藩主に就任。
後に姫路藩に転封となっています。
朝鮮通信使接待役を務めますが、
この費用を捻出する為に御用金を徴収し、
これが領民の負担となって大一揆が勃発。
明矩はその最中に死去しており、
景福寺山に葬られました。
次代は幼い長男松平朝矩が継ぎますが、
幼少で要所の姫路を治める事は出来ないと、
前橋藩へ転封させられています
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・群馬県前橋市 前橋城跡
松平明矩の死後に前橋藩に転封。
・福島県白河市 白河小峰城
白河藩の藩庁。