伏見奉行所より戻って御香宮神社へ。
「御香宮神社」。
伏見の産土神である神功皇后を祀る神社。
創建の由緒はわかっていませんが、
境内より良い香りの水が湧き出して、
その水を飲むと病が治るというので、
清和天皇から御香宮の名を賜ったという。
正門は伏見桃山城の大手門だったもの。
「明治維新 伏見の戦跡」碑。
鳥羽伏見の戦いにおいて、
御香宮神社は薩摩藩陣営となっています。
初め徳川陣営の木札が掲げられていた為、
祠官三木善郷はこれを御所へ注進。
薩摩藩士吉田友実らがやってきて、
木札を外してここに駐屯しました。
やがて旧幕府軍が京に進軍しますが、
駐屯する薩摩藩兵と小競り合いとなって、
鳥羽方面から聞こえた砲声を合図に、
伏見での戦闘が開始されました。
陸軍奉行竹中重固が奉行所を本陣とし、
薩摩藩兵は高所の御香宮神社等から砲撃。
地の利を生かした砲撃で、
伏見奉行所は炎上してしまい、
錦旗の出現による旧幕府軍の混乱により、
旧幕府軍は淀まで撤退しています。
「拝殿」。
本殿や拝殿は徳川家の寄進によるもの。
後の世で徳川を滅ぼすことになるとは、
思っても見なかったでしょうね。
「伏見の御香水」。
諸国を廻って死にかけた猿まわしが、
息も絶え絶えにここへ辿り着いた際、
肩に乗った猿がこの水を飲ませると、
たちまち元気になったという。
現在も病気平慰、茶道、書道用に、
霊水として持ち帰る人が多く、
[伏見七名水]のひとつとなっています。
昭和名水百選。
この御香宮神社には、
伏見奉行所の庭園が再現されています。
場所は社務所の裏で参観料が必要。
「遠州公ゆかりの石庭」。
伏見奉行所は砲撃により焼失。
奉行所内の庭園も手水鉢や庭石が変色、
破壊されるなどの被害を受けています。
後にその跡地に市営団地を建設する際、
この庭園の一部が見つかった為、
発掘された庭石を使って、
社務所裏に石庭を再現したとのこと。
この伏見奉行所の庭園は、
江戸初期に小堀政一が作庭したもの。
小堀は伏見奉行に就任した際に、
伏見奉行所の改装を命じられ、
建物と同様に庭園を造りました。
小堀は庭造りに長けており、
将軍徳川家光が上洛した際に、
この伏見奉行所に宿泊していますが、
その庭園の見事さに感心し、
褒美として5000石を小堀に与えています。
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