鳥取県東伯郡 西向寺/因藩勤王二十二士之碑

和田家の墓所のある西向寺に、
因藩勤王二十二士之碑があります。


因藩勤王二十二士之碑」。
因藩二十士鳥取藩二十士等、
その呼び方は数種類ありますが、
二十二士ではなく二十士が一般的。
彼らは本圀寺事件を起こした尊攘派で、
河田景与河田景福足立正聲
中井範五郎太田権右衛門中野治平
詑間樊六吉田直人佐善修蔵
加須屋右馬允伊吹市太郎清水乙之允
市岡平之進加藤助之進澁谷平蔵
澁谷金蔵永見和十郎大西清太
山口謙之進塩川孝治の20名と、
これに探索中に行方不明となった新庄恆蔵
事件後に自刃した奥田萬次朗を合わせ、
因藩勤王二十二士としています。

この碑は昭和27年の建立ですが、
和田家13代和田信旦が大きく貢献し、
松崎の資産家浅田愛蔵の協力もあった為、
この西向寺に建てらてる事となったという。

■関連記事■
京都府京都市 妙恵会総墓所/本圀寺烈士の墓
 襲撃された佐幕派重臣らの墓。
島根県松江市 禅慶院/因州藩五士墓所
 仇討で殺された5人の墓。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です