西向寺は東郷町松崎にある浄土宗寺院。
慶長元年(1596)に創建されたようですが、
享保5年(1720)頃には衰退していたという。
この状況を10世誠誉が憂いて、
領主の和田家4代和田昭信を祀った為、
以降は和田家より庇護を受けています。
「本堂」。
和田家の庇護を受けて間もなく、
寺は失火で全焼してしまったようで、
本堂等の建物は享保12年(1727)に再建。
その後に老朽化して破損が著しかった為、
嘉永元年(1848)に新しく本堂を建立し、
これが現在の本堂となっています。
「和田家墓所」。
右の大きな墓碑は[和田家祖先累代之墓]で、
左の小さい墓碑は[和田家累代之墓]。
これらは鳥取市の真教寺にあったもの。
※調べた範囲では鳥取入封時の当主は、
3代当主和田飛騨三正だったようで、
当時4人のみだった家老のひとりでした。
三正以降は4代三信-5代真信-6代昭信-
7代時信-8代定信-9代信之-10代信成-
11代信古-12代信元-13代信旦-14代信実。
和田家は池田恒興の客将和田信維を祖とし、
2代和田正信が池田忠継に仕えました。
3代三正の頃に主家が鳥取藩に移ると、
伯耆松崎領5000石を与えられて、
その私領で自分手政治が行われています。
「従五位和田信旦之墓(右)」、
「元明院超譽〇室貞光大姉(左)」。
13代当主和田信旦とその室の墓。
信且は鵜殿家10代鵜殿長発の次男で、
12代和田信元の養嫡子となります。
藩内では尊攘派に属した家老で、
幕末期に藩政改革を主導していますが、
河田左久馬ら尊攘派藩士らと親しかった為、
彼らが本圀寺事件を起こした事で、
その黒幕とみなされて謹慎。
14代和田信美に家督を譲り隠居しました。
明治33年、死去。
4代和田三信は初代藩主池田光仲より、
絶大の信頼を得ていたとされ、
光仲は「死んだら我が墓前に来い」と厳命。
その厳命どおりに池田家墓所の程近くに、
三信の墓が建てられたようです。
■関連記事■
・島根県米子市 了春寺/荒尾但馬家墓所
着座筆頭荒尾但馬家の歴代墓所。
・鳥取県倉吉市 満正寺/荒尾志摩家墓所
着座荒尾志摩家の歴代墓所。
・鳥取県東伯郡 體玄寺/津田家墓所
着座津田家の歴代墓所。
