北高木家は美濃衆高木家のひとつで、
宗家2代高木貞久の長男家にあたります。
しかし貞久長男の高木貞家が戦死してしまい、
その遺児高木貞俊が幼少であった為、
家督は貞久の弟高木貞利が相続しました。
後に高木家一族は徳川家康に仕え、
貞俊は関ヶ原の戦いで案内役を務め、
その功によって1000石を拝領。
北高木家として宗家や東高木家と共に、
江戸時代を通じて多良郷を治めています。
「北高木家墓所」。
北高木家の墓所は観音寺跡にあります。
墓所は山の中ではありますが、
googleMAPにも載っていますし、
それ程大変な場所でもありません。
観音寺は昭和45年に火事で焼失しており、
再建されることはありませんでした。
貞俊の次代は高木貞元が継ぎ、
以降、3代高木貞重、4代高木易貞、
5代高木貞庸、6代高木允貞、7代高木貞明、
8代高木貞一、9代高木貞固、10代高木貞雄、
11代高木貞興、12代高木貞金、
13代高木貞郷、14代高木貞政、
15代高木貞栄と続いて維新を迎えています。
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