三重県三重郡 金剛寺/桑原家墓所

桑原家は元々織田家に仕えていた家で、
桑原武左衛門重成の頃に織田信雄に仕え、
後に土方雄久に2000石で仕官しました。
菰野藩の桑原家は本家の伝左衛門家と、
分家の西桑原家の二家が存在。
菰野藩の家老は桑原伝左衛門家か、
山本家のみから選ばれましたが、
6代桑原茂旨が藩主の勘気に触れて、
蟄居及び減封処分となった為、
以降は山本家のみが家老となります。
しかし文政3年(1820)以降は家老は置かれず、
家老次席にあたる年寄が政務を遂行。
※以後は年寄が実質的な家老。
西桑原家はこの年寄を代々歴任しており、
廃藩までこれが続きました。


金剛寺」。
元々は天台宗の寺院でしたが、
戦国時代の戦火で焼失しています。
後の江戸時代になって再興運動が起こり、
藩士らや菰野三郷の檀家らが訴え、
3代桑原傳右衛門旨が藩主に具申。
これが許されて4代桑原傳左衛門旨方と、
西桑原家2代桑原次太夫眞英により、
臨済宗寺院として金剛寺が再建されました。


桑原家墓所」。
金剛寺墓地にある桑原家の墓所。
伝左衛門家と西桑原家の墓所となっており、
両家一族の墓碑が並んでいます。

重成の次代は次男桑原真政が継ぎ、
初代藩主土方雄氏にその忠節を認められ、
嫡子勝五郎(2代藩主土方雄高)の教育係とし、
自宅に一時預からせていたという。
後に雄氏が側室の子である次男土方氏久に、
自らの家督を譲ろうとしますが、
これを諫めて考えを改めさせたとされており、
その関係か真政は雄氏の隠居前に自刃。
その2年後に雄高への家督が譲られています。
真政の家督は長男桑原頼旨が継ぎますが、
桑原延英にも分知されており、
菰野藩の桑原家は宗家の伝左衛門家と、
延英の死に桑原家の2家に分かれました。
宗家は藩の最高職である家老を代々務め、
頼旨以降は桑原旨、桑原旨方、
桑原旨清桑原茂旨と続きますが、
宝暦12年(1762)に茂旨が藩主の勘気に触れ、
以後宗家は没落してしまいます。
一方の西桑原家は次席にあたる年寄を、
明治維新に至るまで歴代当主が務めており、
延英以降は桑原真英桑原鎮顕
桑原英定、桑原真温桑原柄敬
桑原敬道と続いており、
幕末期の当主桑原敬徳は維新後の明治2年に、
菰野藩大参事に抜擢されています。

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