以前[南林寺由緒墓]を訪問した際に、
そこにあるそれぞれの墓碑を撮影しており、
ちょっとずつそれぞれを調べて、
少しずつUPしようと思っています。
今回は西郷隆盛の上司であった迫田利済の墓。
「風松堂淸山涼心居士」。
薩摩藩郡奉行迫田太次右衛門利済の墓。
西郷が17歳で初めて藩に出仕した際、
群方に配属されて最初に上司となった人物。
自らはみすぼらしい家に住み、
体裁を気にせず仕事一途であったとされ、
我欲に全く無頓着な奇人であったという。
困窮する農民達の訴えを聞き入れ、
藩に農政改革の建白を度々行っており、
これが聞き入れられなかった為に辞職。
その際に以下の歌を詠んでおり、
薩摩藩の農政を痛烈に批判しています。
虫よ虫よ五ふし草の根を絶つな
絶たば己も共に枯れなん
訳:虫よ虫よ稲の根までは喰ってはいけない
喰えば自分達も共に枯れて死ぬだろう
迫田のその行動は若い西郷の思想に、
大変に大きな影響を与えました。
迫田のその後は隠棲していた思われ、
安政2年に死去。
ここに墓碑が残されているという事は、
無縁となってしまったと思われます。
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