東海寺は北品川にある臨済宗の寺院。
3代将軍徳川家光によって創建され、
沢庵宗彭を招聘して開山されました。
元禄7年(1694)の品川宿の火災で延焼し、
諸堂は全焼していますが、
5代将軍徳川綱吉によって再建され、
幕府による保護を受けて隆盛。
5万坪近い寺域を有していましたが、
明治維新後に衰退して廃寺となり、
旧塔頭玄性院がこれを引き継いで、
東海寺を名乗って現在に至っています。
「東海寺」。
江戸期の東海寺は広大な寺域でしたが、
その寺域内にあった玄性院の敷地が、
現在の東海寺の敷地となりました。
往時の本坊は山手通りの北側とのこと。
江戸時代に12回程行われてた朝鮮通信使で、
9、10、11回目の宿所となっています。
京都大徳寺の住職だった沢庵宗彭は、
紫衣事件で出羽国に流罪となって、
上山藩に預けられていました。
寛永9年(1632)に大御所徳川秀忠が死去し、
これによって大赦令が発せられ、
紫衣事件の関係者は放免。
沢庵も江戸に呼び寄せられて、
寛永11年(1634)まで留まった後、
大徳寺に戻りました。
将軍徳川家光は上洛した際に沢庵に会い、
深く沢庵に帰依したとされ、
幕命により江戸に召喚されるに至り、
家光は東海寺を建立して沢庵を住まわせ、
晩年を江戸に過ごす事となります。
家光が東海寺を訪れた際に、
「東海寺ト言ヘト海近シ」
と問うと即座に、
「大君ト言ヘト将軍ト称スルカコトシ」
と返したという逸話は有名。
東海寺裏手には熊本藩細川家の墓所があり、
そこは塔頭の妙解院があった場所で、
※妙解院は明治4年に廃寺。
細川家墓所は非公開。
また境内には篠山藩青山家墓所及び、
宮川藩堀田家墓所があります。
更に少し離れた場所には大山墓地があり、
開山の沢庵和尚の墓を始め、
歴史上の人物の墓が現存しています。
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・東京都品川区 東海寺/篠山藩青山家墓所
境内にある篠山藩青山家の墓所。
・東京都品川区 東海寺/宮川藩堀田家墓所
境内にある宮川藩堀田家の墓所。
・東京都品川区 東海寺/井上勝墓所
大山墓地にある井上勝の墓。
