奥の院墓地にある飫肥藩伊東家の墓所。
建武2年(1335)に伊東祐持が、
足利尊氏の命によって日向国に下向。
伊東家は南北朝時代に北朝方として戦い、
周辺勢力と争いながら版図を広げました。
戦国時代には島津家と抗争を続け、
11代当主伊東義祐は佐土原城を本拠に、
領内に48の支城を要する程に隆盛。
しかし次第に島津家に圧倒されて、
遂には日向国から追われました。
豊臣秀吉の九州征伐が開始されると、
秀吉の家臣となっていた12代伊東祐兵が、
先導役を務めて九州平定に貢献。
その功績で10年越しに旧領に復帰し、
以後は近世大名として時勢を乗り切り、
飫肥藩の藩主家として続いています。
「飫肥藩伊東家墓所」。
大型の五輪塔18基を誇る伊東家の墓所。
歴代藩主の墓碑は揃っているようですが、
それぞれの被葬者の特定は出来ません。
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