下関より萩に行く場合は中国自動車道から、
美祢東JCTで小郡萩道路に乗り換え、
大田・絵堂を抜けて国道490号線を通り、
途中で県道32号線に入って、
角力場交差点から国道262号線に入り、
再び32号線に合流するルートを通りますが、
この32号線に合流してすぐの場所に、
吉田松陰の詩碑があります。
萩市明木橋周辺(吉田松陰詩碑の場所)
碑は地図上側の赤丸の位置ですが、
明木橋は上流の地図下側の赤丸の位置。
当時の橋の掛かっていた場所は、
現在とは少し違うようですが、
だいたい同じような場所のようです。
明木は萩手前の宿場町として栄えましたが、
明治24年の大火事で家屋の大半を焼失。
後に集落は復興していますが、
宿場の雰囲気は失われてしまいました。
「吉田松陰先生 過明木橋」碑。
下田での密航に失敗した松陰は、
金子重輔と共に萩に送還されますが、
萩に入る前夜の安政元年10月24日に、
明木橋に至って下記の詩を読みました。
少年有所志 少年志すところあり
題柱学馬卿 柱に題して馬卿を学ぶ
今日檻輿返 今日檻輿の返
是吾晝錦行 是れ吾晝錦の行
「少年(松陰)は志すところがあって、
この明木橋で司馬相如のように誓った。
今日、檻に入れられて返されはしたが、
これは錦を飾る帰還なのだ」。
松陰らしいポジティブな漢詩ですね。
本来は橋の近くにあるべき碑ですが、
諸事情によりこの場所に移されたようです。
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高須久子の目線で松陰が語られています。