女流勤皇詩人野村望東尼は、
福岡藩の尊攘派弾圧事件乙丑の獄により、
糸島に流刑となっていたところ、
高杉晋作の指示により奇兵隊に救出され、
下関の白石正一郎宅に匿われました。
晋作を看取った後は三田尻に滞在。
戦勝祈願のため断食を行ったのが祟り、
慶応3年11月に亡くなっています。
亡骸は防府市の桑山に葬られ、
小さな墓石が建てられていましたが、
楫取素彦が昭憲皇太后御下賜金や、
三条実美、毛利元徳らの協力金を得て、
立派な墓石が建立されました。
桑山墓地にある望東尼の墓がそれです。
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それとは別に故郷の福岡にも、
野村望東尼の墓があります。
「明光寺」。
南北朝時代に融純によって開山された寺院。
乱世を経て荒れ果てていましたが、
福岡藩2代藩主黒田忠之や、
藩祖黒田如水の正室照福院、
初代黒田長政の正室大涼院らにより再興。
大涼院の遺髪塔も境内に残っています。
ここは望東尼の嫁ぎ先の野村家の菩提寺で、
野村家の墓所でもあります。
「贈正五位望東禪尼墓」。
野村家累代之墓と並んでいるこの墓は、
得度した際に切った髪を納めたもの。
生きている時に建てたので、
遺髪墓ではなく生前墓ですね。
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晋作の辞世に関する私見。