徳川十六神将の一人渡辺半蔵守綱は、
[槍半蔵]の異名を持つ武勇の将で、
※他に[鬼半蔵]の服部半蔵正成がいました。
江戸時代に入ると尾張藩の付家老として、
初代尾張藩主徳川義直を支えました。
守綱の長男で次代当主の渡辺重綱も、
付家老として尾張家に仕えていますが、
重綱は子沢山で男子だけで7人もいました。
その何人かは早逝してはますが、
残った子は尾張藩に仕える等しており、
五男渡辺吉綱は徳川秀忠に仕えて、
要職を務めた功で諸侯に列しました。
比企郡野本村(埼玉県東松山市)に藩庁を置き、
3代渡辺基綱の頃に近江国に移された為、
陣屋を大鳥郡大庭寺村(大阪府堺市)に移し、
後に和泉郡伯太村(大阪府和泉市)に変更して、
伯太藩となっています。
JR信太山駅より1kmの場所に、
陣屋跡の碑があります。
「伯太藩陣屋跡碑」。
民家の小さな畑がある場所に建っています。
伯太陣屋は陣屋形式の藩庁でしたが、
信太山丘陵の高所に配置しており、
周辺の溜池を堀にしていたという。
遺構は殆ど残っていないようですが、
堺市の小谷城郷土館に裏門が移築され、
唯一の建造物の遺構となっています。
伯方藩9代藩主渡辺章綱は、
大坂加番や日光奉行を務めており、
譜代大名として幕政に参加。
大政奉還後は状況を静観して、
その判断を保留していましたが、
鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍が敗れると、
新政府に恭順することに決定。
慶応4年3月に参内し和泉国内の田安家、
一橋家の領地管理を命じられています。
【伯太藩】
藩庁:伯太陣屋
藩主家:吉綱流三河渡辺家
分類:1万3000石、譜代大名
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