有名な吉田松陰の[河豚食わざるの記]。
※原文は不食河豚説。
これを読んでみたいと思います。
世言河豚有毒矣、
世にいう河豚には毒があると。
其嗜之者特衆、
それでもこれを好む者は多い。
余獨不食、非懼死也、懼名也、
余は死を恐れず名を恐れるので食べない。
夫死者、人之所必有、
死は必ず人のところにやって来るが、
固不足懼也、
これを皆恐れない。
然死生亦大矣、… 続きを読む
「吉田松陰まとめ」カテゴリーアーカイブ
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京都府京都市 吉田松陰拝闕詩碑
京都府立図書館の敷地に、
吉田松陰の詩碑が建てられています。
「吉田松陰拝闕詩碑」。
明治41年の松陰五十回忌を記念し、
京都府教育会が建立した詩碑。
松陰が江戸から長崎へ赴く途中、
御所を拝した時の事を詠んだ漢詩です。
山河襟帯自然城東来無不日憶
神京今朝盥嗽拝鳳闕野人悲泣不能行
上林零落非復昔空有山河無変更聞説… 続きを読む
山口県萩市 吉田松陰誕生地
吉田松陰墓所近くに松陰誕生地もあります。
松陰の祖父杉七兵衛常徳の時代、
城下にあった杉家の屋敷は火災で全焼。
仕方なく団子岩の山荘に移住しました。
※この山荘は藩士で俳人の八谷聴雨の別荘。
樹々亭と呼ばれていたようですが、
これは田上菊舎が名付けたもので、
購入資金は松陰の母瀧の実家の… 続きを読む
山口県萩市 吉田松陰墓所(再訪)③
山口県萩市 吉田松陰墓所(再訪)②
山口県萩市 吉田松陰墓所(再訪)①
下関市豊北町 和久浦
和久浦は戸数60戸程の漁村だったようで、
この浦で採れる雲丹は品質が良く、
宝暦元年の頃より15~60歳迄の漁師は、
毎年4月中旬に塩雲丹三合を上納したという。
「和久浦」。
小さな漁港には小舟がちらほら。
近くにある道の駅北浦街道ほうほくの北側に、
少し大きな漁港が整備されていますので、
そちらの方に漁船が碇泊しているようで、
こっちの小さい港はウニやサザエ… 続きを読む




