【幕末維新の話】」カテゴリーアーカイブ

民話「あかずの扉」

下関の民話に[あかずの扉]という怪談?が、
伝承されています。
話が幕末のようなのでご紹介。

明治になるちょっと前の事、
天然痘が大流行した年がありました。
長府
逢坂の坂口、向かって右手の角屋敷に、
松田という三百石取の侍が住んでいましたが、
松田の家でも唯一人の男の子と、

その家に奉公する中間の子どもとが、
同時に天然痘にかかりました。続きを読む

高杉晋作の葬儀

高杉晋作の神式の葬儀は、
白石正一郎奇兵隊幹部が話し合い、
白石が取り仕切りました。
下記は白石の作った谷東行主神葬略式

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丁卯四月十六日  谷東行主神葬略式
一 忌の事
親の喪夫の喪は、妻子たる者ハ其日より
酒肉をたち慎むべし葬の時葬地にゆく道
中徒跣の事、寒中たりとも足袋を用ぶべ… 続きを読む

山縣の結婚式の日に晋作が危篤となる

慶応3年4月に山縣狂介(有朋)は、
湯玉の庄屋石川良平の長女お友と結婚。
※石川良平は後に下関市長となっています。
婚礼は4月11日より始まり、
12日には宴が開かれました。
婚礼の場所は正確には判っていませんが、
下関でも吉田でも無い場所なので、
石川良平宅ではないかと思われます。

その石川良平宅の場所が、
イマイチよくわからない。

豊浦町史二[宇賀の今昔]に、… 続きを読む

晋作が犬を斬ったという話

高杉晋作が犬を斬って鬱屈を晴らし、
幽閉中の吉田松陰がそれを聞いて
もって志気の劣えが知れる
と嘆いたという。

この話の出所はどこなんだろうと、
前々から気になっていたのですが、
ネット上ではその話の出典が書いてない。
※このブログも出典はめんどくさいので、
 殆ど記載していません。
 出典が知りたい場合はご連絡下さい。
色々と調べてみると確かにありました。

安政6年に松陰が書いた諸友宛続きを読む

長州風呂

じめじめした季節ですね。
こういう時はお風呂でさっぱりしたいもの。

日本古来のお風呂の様式のひとつとして、
五右衛門風呂というのがありますが、
これは鉄製の風呂桶の下でマキを焚いて、
底板を沈めて入るものでした。
江戸時代には庶民の間でも普及して、
浮世絵などにも描かれていたり、
東海道中膝栗毛」にも登場しています。
江戸っ子は毎日朝夕銭湯に通っていたとか。… 続きを読む

石州戦争での軍夫の逃亡

幕長戦争石州口の戦い(石州戦争)は、
大村益次郎が直接指揮を執り、
長州軍を勝利に導いたとされています。

その通りではあるのですが、
それだけが勝利の要因ではなく、
兵装の違い士気の違い戦術の違い等、
色々な要素が重なった結果の勝利でした。
その勝利の要因のひとつとして、
石見の民衆の動向が挙げられており、… 続きを読む

表高と実高

長州藩36万石の石高ながら、
幕末期になぜあれ程の資金力があったのか?

これについては色々と説はありますが、
よく言われるのは、
1)表高と実高が大きく違っていた。
2)村田清風の改革で膨大な資金力を得た。

どちらも正解でしょう。
特に表高は厳封された時からのもので、
西軍総大将が功績ある東軍大名より高いと、
どうしても釣り合いが取れないので、
幕府は実高の7割を表高としたようです。
この時点で… 続きを読む