元暦2年/寿永4年(1185)の壇ノ浦の戦いで、
源氏と平家は最後の戦いを行い、
平家は滅亡して海の藻屑となっています。
敗北が決定的となった際に二位尼は、
※平清盛の継室で安徳天皇の外祖母。
宝剣と神璽を抱えて入水。
按察使局伊勢が… 続きを読む
鹿児島県垂水市 安徳天皇陵
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元暦2年/寿永4年(1185)の壇ノ浦の戦いで、
源氏と平家は最後の戦いを行い、
平家は滅亡して海の藻屑となっています。
敗北が決定的となった際に二位尼は、
※平清盛の継室で安徳天皇の外祖母。
宝剣と神璽を抱えて入水。
按察使局伊勢が… 続きを読む
吾平山上陵は鸕鶿草葺不合尊の皇族陵で、
宮内庁によりその治定地とされています。
鸕鶿草葺不合尊は神武天皇の父で、
彦火火出見尊と豊玉姫命の子。
西州之宮という場所で崩御し、
吾平山上陵に埋葬されたと伝わるのみで、… 続きを読む
志布志城は志布志市のあった中世期の城。
築城年は不明ながら南北朝時代に存在し、
救仁院氏、楡井氏、畠山氏、新納氏、
肝付氏、島津氏等が城主となっており、
島津氏久… 続きを読む
鵜戸陵墓参考地の分かれ道より波切神社へ。
波切神社も鵜戸神宮と同様に、
波打ち際の洞窟に鎮座する神社。
観光客が余り立ち寄らないながら、
知る人ぞ知るパワースポットとのことで、
陵墓参考地には辿り着けなかったので、
せめてこちらには辿り着こうと、
山道を進みました。
波切神社へは山道を進むしか行けません。
まあまあ険しい道でした。
鵜戸神宮同様に下り宮となっており、… 続きを読む
鵜戸神宮境内には鵜戸陵墓参考地があり、
鸕鶿草葺不合尊が葬られたと伝わります。
治定地は鹿児島県の五平山上陵ですが、
明治29年に明治政府が伝説地に定め、
後に参考地となりました。
鵜戸神宮に隣接する速日峯の頂上に、
その陵墓参考地があります。… 続きを読む
基肄城は基山山頂にあった古代山城で、
大宰府政庁南方8㎞に位置しており、
北側の大野城と共に政庁を防御し、
南側の防衛拠点となっていました。
天智天皇2年(663)の白村江の戦いで、
日本・百済連合軍は… 続きを読む
水城は続日本100名城選出の古代の城で、
天智天皇2年(663)の白村江の戦いで、
日本・百済連合軍は唐・新羅連合軍に敗北。
唐・新羅の日本侵攻を恐れた天智天皇は、
大宰府政庁の防御を再構築に着手し、
巨大な土塁の壁を建設します。
東側の大城山(四王寺山)と、… 続きを読む