正徳3年(1713) 閏5月10日夜。
薩摩藩士内田忠左衛門と海江田次郎兵衛が、
藩の公用荷物を馬2頭に積み、
鹿児島から不眠不休で運んでいました。
夜四ッ時(午後10時頃)に小竹に至り、
小休して更に進んで竹藪の道となると、
暗がりで盗賊5人に襲われます。
盗賊は不意を衝いて内田の刀… 続きを読む
福岡県鞍手郡 小休所跡
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正徳3年(1713) 閏5月10日夜。
薩摩藩士内田忠左衛門と海江田次郎兵衛が、
藩の公用荷物を馬2頭に積み、
鹿児島から不眠不休で運んでいました。
夜四ッ時(午後10時頃)に小竹に至り、
小休して更に進んで竹藪の道となると、
暗がりで盗賊5人に襲われます。
盗賊は不意を衝いて内田の刀… 続きを読む
福岡藩初代黒田長政の四男黒田高政は、
長政より鞍手郡周辺4万石を与えられ、
東蓮寺藩を立藩しました。
直方はその陣屋町として興った町で、
真言宗の古刹東蓮寺があった事から、
周辺は東蓮寺と呼ばれたようですが、
3代藩主黒田長寛… 続きを読む
筥崎宮は筑前国一宮。
延喜21年(921)に八幡神の託宣で、
穂波郡の大分宮を玄界灘沿岸の地に遷座し、
延長元年(923)に現在地に移されました。
祭神は応神天皇、神功皇后、玉依姫命。… 続きを読む
箱崎宿は唐津街道の宿場町で、
箱崎宮の門前町ともなっていました。
古くは日宋貿易の拠点となって、
唐房が形成されていたという。
東区筥崎周辺。緑の線が街道筋で、
青い線は参道及び御茶屋への道。
青でぼかした辺りが箱崎宿跡。
「筥崎宮… 続きを読む
博多宿は博多川と御笠川の間の宿場で、
商人の町である博多の一部でした。
博多区呉服町周辺。緑の線が街道筋。
宿場は街道筋の北側に伸びており、
大規模な遊郭もあったようです。
「石堂橋」。
御笠川に架かる石堂橋が東の入り口。
橋名は橋の北側にあるの石堂地蔵… 続きを読む