開善寺にある小宮家の墓所。
「小宮家墓所」。
小宮家は信州時代より小笠原家に仕え、
重臣拾四家のひとつとされた名門。
資料に乏しく当主の系譜は不明ですが、
居士銘入った墓碑は以下のとおり。
※( )内は特定出来た被葬者。
天球院遍界不藏居士(小宮主鈴親展)
鑑照院功岳浄節居士(小宮主鈴正便)
徹心院義道宗源居士(小宮主税助親恭)
瑞光院仁峰宗儀居士
鐵圓紹機居士
〇岳院暁雲淨〇居士
只樂院仁山義鐵居士(小宮民部親懷)
「只樂院仁山義鐵居士」。
小宮民部親懷の墓。
小宮は小倉藩士秋山光芳の二男に生まれ、
中老小宮親泰の養子となっています。
嘉永6年より家老に就任して藩政に尽くし、
藩主小笠原忠幹の信任が厚かったようで、
加増と共に民部の名乗りました。
忠幹が小倉戦争中に死去してしまった為、
これを藩外には秘匿しており、
長州勢が小倉城に迫ると籠城は不利として、
小倉城を自焼させていますが、
その責任をとって隠居後に自刃してます。
これらの墓は昭和36年に開善寺が市街から、
※小倉北区馬借1丁目。
現在地に移転した際に改葬されたもの。
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