[山口県下関市]」カテゴリーアーカイブ

下関市豊北町 特牛湊

難読地名として知られる特牛(こっとい)。
JR山陰本線の駅名にもなっていますので、
難読過ぎて有名になっていたりもします。
古代朝鮮語コットイと云うらしく、
※現在の韓国語ではありません。
この辺りは古来より朝鮮半島と貿易しており、
隣の… 続きを読む

下関市福江 福江馬継跡

北浦道筋の始点から最初の馬継は、
福江にある八貫堤の辺りだったという。


下関市福江八貫堤周辺。緑の線が北浦道筋。
青い線は横野安岡方面への旧道筋。
赤丸辺りに馬継所があったようです。
左の赤い線は国道191号線
右の黄色い線は県道244号線続きを読む

下関市豊北町 和久浦

和久浦は戸数60戸程の漁村だったようで、
この浦で採れる雲丹は品質が良く、
宝暦元年の頃より15~60歳迄の漁師は、
毎年4月中旬に塩雲丹三合を上納したという。


和久浦」。
小さな漁港には小舟がちらほら。
近くにある道の駅北浦街道ほうほくの北側に、
少し大きな漁港が整備されていますので、
そちらの方に漁船が碇泊しているようで、
こっちの小さい港はウニやサザエ続きを読む

下関市豊北町 矢玉浦

矢玉浦は古くは大物ノ浦と称しましたが、
蒙古襲来の際に浦の者がを献上し、
それ以降は[矢玉]と呼ばれたという。
それ程大きくない漁村でしたが、
江戸時代中期以降より海運業が盛んに行われ、
赤間関街道北浦道筋の宿場にもなって、… 続きを読む

下関市豊北町 二見浦

二見浦は響灘を望む小さな漁村ですが、
赤間関街道北浦道筋の海側の阿川ルートと、
内陸の滝部ルートの合流地点であった為、
宿場としても機能していたようで、
戸数は60~70戸もあったという。


二見浦」。
小規模な沿岸漁業を主とする二見漁港は、
魚の他にサザエ漁などが行われており、… 続きを読む

下関市吉見 吉見浦

吉見浦は古代からの港町であったとされ、
神功皇后がこの浦の風景を見て、
[良き眺め]と言った事から、
吉見と名付けられたと伝承されています。
塩造りが盛んであったようで、
浦の北側に広がる永田の平地には、
中世より塩田が広がっていたという。


下関市吉見周辺。
左右が小高い岬に囲まれており、
※左側が網代山続きを読む

下関市豊田町 浮石義民直訴之地

幕末とは全く関係はありませんが、
江戸時代幕府の関係性や、
年貢徴収方法などを知るうえで、
大変わかりやすい「浮石義民の直訴事件」。

椙杜家長府藩筆頭家老だった家系で、
豊田町周辺3100石を領地としていますが、
宝永5年(1708)の旱魃の被害を受けて、
領内は4割程度の収穫となってしまいます。… 続きを読む