[山口県下関市]」カテゴリーアーカイブ

下関市今浦町周辺 竹崎浦 今浦 伊崎浦

赤間関宿があったのは現在の唐戸周辺ですが、
新地会所白石正一郎小倉屋など、
意外と重要な史跡が集まっている下関駅西側。
現在の感覚では不便な位置のようですが、
勿論当時は下関駅はありませんし、
彦島側に伸びる大和町もありませんでした。


下関駅周辺。青い線が当時の海岸線。… 続きを読む

下関市豊浦町 黒井村

黒井村川棚温泉南西の集落で、
赤間関街道北浦道筋に沿ってが開かれ、
街道の宿駅となっていたという。


下関市街より県道244号を北上。
平成の大合併前の下関市豊浦町の旧境に、
八本松峠と… 続きを読む

下関市王司 永富獨嘯庵先生顕彰碑

王司上町上町町民館の敷地に、
漢方医永富独嘯庵の顕彰碑があります。


永富獨嘯庵先生顕彰碑」。
富永独嘯庵は享保17年(1732)に、
王司宇部村の庄屋勝原家の三男に生まれます。
幼少時より神童と称されたようで、
清末藩主を言い負かした逸話があるという。
※この逸話の詳細は不明。
12歳で南部町の医者富永友庵の養子となり、
や… 続きを読む

下関市安岡 安岡浦

安岡浦長府藩領の漁村だった場所で、
名前の由来は神功皇后が岡に登り、
そこで安(休)んだ事に由来します。
古来より漁業が盛んであったようで、
多くの船が浦から出漁していたとされ、
対馬朝鮮沿岸まで行っていたという。
いつの時代からかは不明ですが、
安岡浦の女性が頭に桶を乗せて、
鮮魚アワビ、… 続きを読む

下関市豊浦町 川棚温泉

川棚には青龍が澄む沼がありましたが、
大地震でその沼が熱湯に変わってしまい、
その青龍は死んでしまったという。
人々は沼を埋め立てて田畑とし、
死んだ青龍権現として祀っていましたが、
幾年月が過ぎた後に誰かが沼地跡を掘ると、
温泉が湧き出たのが始まりとされます。

また別話では三恵寺怡雲和尚の枕元に、
薬師如来が現れて病を治す温泉と、
古来よりこの地に棲んでいた… 続きを読む

下関市豊北町 阿川宿跡

阿川油谷湾南西部の阿川湾にあり、
湾曲する砂浜に沿うように街道が伸び、
そこに宿場が設置されていました。
一門家老家の阿川毛利家の本拠でもあり、
宿場の南側には居館が建てられています。


豊北町阿川周辺。緑の線が街道筋。
青でぼかした辺りが阿川の街並み。


阿川浜」。
白砂が美しい阿川湾内。
阿川ほうせんぐり海浜公園ビーチとして、… 続きを読む

下関市豊北町 粟野湊

粟野粟野川の河口にある集落で、
古来よりを主に栽培していたという。
串山が海風を遮っていた為、
風待ち港としても適しており、
海運の拠点ともなっていたとされ、
長府藩御用蔵もあったようです。
※粟野は長府藩の領地。
また赤間関街道北浦道筋の追分でもあり、
宿場も置かれていました。… 続きを読む