近代日本画の父とされる狩野芳崖の旧宅跡が、
田上菊舎宅跡の北側にあります。
「狩野芳崖宅跡」。
旧街道よりひとつ西側の路地。
残念ながら空地となっていますが、
隣には古い家屋が残っています。
芳崖は長府藩御用絵師狩野晴皐の家に生まれ、
幼少時より画道に励んで才能を発揮し、
江戸へ出て木挽町狩野家… 続きを読む
「[山口県下関市]」カテゴリーアーカイブ
下関市長府 田上菊舎史跡
田上菊舎は江戸後期の女流俳人。
菊舎は文政9年に死去しており、
その生涯は幕末には至っていませんので、
今まで触れてはおりませんでしたが、
幕末史跡を調べていると何度も登場する為、
ここいらでちゃんと調べてみました。
菊舎は在郷の長府藩士田上由永の娘として、
宝暦3年(1753)に豊浦郡田耕村に誕生。
やがて同村の村田利之助に嫁ぎますが、… 続きを読む
下関市豊北町 西楽寺/毛利秀包墓所
関ヶ原の敗戦で改易となった小早川秀包は、
毛利輝元によって再び召し抱えられて、
小早川姓を捨てて毛利秀包を名乗ります。
※小早川秀秋の裏切りを忌み嫌った為。
しかしその翌年に病死してしまい、
家督は嫡男の毛利元鎮が相続。
元鎮は父秀包の亡骸を滝部に葬りました。… 続きを読む
下関市豊北町 滝部宿跡
滝部は豊北地域の中心地で、
赤間関街道北道筋と肥中街道が交わり、
交通の要所となっていました。
豊北町滝部周辺。緑の線が北浦道筋で、
青い線が肥中街道。
青でぼかした辺りが滝部宿跡。
その立地故に市が開かれており、
周辺より物資が運ばれていたという。
「滝部宿跡」。
街道筋は現在も商店がちらほら存在します。
地方の多くの市が寂れて久しいのですが、
下関市街… 続きを読む
下関市彦島 福浦
福浦は北前船の寄港地として栄えた港町で、
南風泊と同じく風待ちの為に、
北前船の多くが福浦湾に入ってきて、
大変な賑わいであったという。
現在の福浦町は1~3丁目まであり、
福浦本町と通称される1丁目と、
福浦口交差点西側の2、3丁目とは、
1本道で繋がっているだけとなっています。… 続きを読む
下関市彦島 旧俎礁標
旧俎礁標は明治4年に設置された礁標で、
灯台技術者R.H.ブラントンが設計し、
海峡の岩礁を示していたもの。
当時は約6mの石塔が黒白で塗り分けられ、
頂部の球が据えられたものでしたが、
明治23年に昼夜灯の挂灯立標に改修され、
後に岩礁と共に撤去されて、
現在地に移転されて灯台となりました。
これが金ノ弦岬灯台で、… 続きを読む
下関市豊浦町 小串浦
小串浦は響灘に面する海岸線に位置し、
川棚川北側の砂浜辺りから、
笠松ノ鼻南麗辺りまでに至る集落。
かつては子牛の産地であった為に、
これが転化して小串になったとされますが、
長崎県西部に小串と川棚が揃うも場所あり、
その関連性も指摘されてはいますが、
理由については判明していないようです。
小串浦は漁村ではあったものの、
赤間関街道北浦道筋の街道筋にも位置し、
市宿も開かれていたようで、… 続きを読む