[山口県下関市]」カテゴリーアーカイブ

下関市菊川町 田部市跡

田部赤間関街道北道筋の市場町。
慶長15年(1610)には32軒の市が並び、
月に1度の市が開かれていたとされ、
江戸時代中期には市屋敷は43軒となり、
幕末まで変化なく繁栄していました。

現在もそれ程の変化がないようで、
築100年以上の家屋も残っており、
古い街並みを残しているようです。


菊川町田部周辺。緑の線が北道筋。
青でぼかした辺りが田部市跡。


田部市跡」。
古い家屋が多く残る田部の街並み。
街道沿いに市が開かれていたようです。


「… 続きを読む

下関市長府 長府宿跡

長府宿赤間関宿に至る最後の宿場で、
長府藩の城下町でもありました。


御国廻御行程記 長府」。


長府周辺。緑の線が街道筋。
青でぼかした辺りが宿場のあった場所。
赤間関宿から海岸線を進んだ街道は、
前田から内陸の野久留米街道を通って、
長府の城下にたどり着きます。
宿場は南之町続きを読む

下関市吉田 吉田宿跡

吉田宿西国街道宿場町であり、
終点の赤間関宿前の最後の本宿でした。
本陣として長州藩直営の御茶屋も置かれ、
また本藩の最西の領地だった為、
郡役所の吉田宰判勘場続きを読む

下関市小月 小月宿跡

小月宿西国街道の宿場町。
古くから山陽道の宿駅として栄え、
赤間関街道北道筋への分岐点でもあった為、
小規模ながら大変に栄えていたという。


御国廻御行程記 小月」。


下関市小月周辺。緑の線が西国街道で、
北に延びる本町通りの青い線が北道筋。… 続きを読む

下関市豊田町 西市

西市(西ノ市)は赤間関街道北道筋の市宿で、
室町時代より市場が興った場所でした。
木屋川上流よりの産物が集められて、
月に6度も市が開かれたようで、
江戸後期には日本海響灘瀬戸内から、
海魚が運ばれて魚市場も発達して、… 続きを読む

下関市彦島海士郷町 身投げ岩

壇ノ浦の戦い平家が敗れた為、
平家に仕えたの女官雑仕女達は、
彦島の平家一門の住居跡や、
漁師の家に匿われて潜んでいましたが、
彼女達は源氏の兵士達の格好の餌食となり、
陵辱の限りを尽くしました。
多くは乱暴を受けた後に殺され、
命を助けられた者も自ら命を絶ったという。

彦島老町にある身投げ岩続きを読む