光明寺は延徳年間(1489-1492)に、
真宗本願寺派8世蓮如上人の弟子釈正善が、
西市に御堂を建立した事に始まるとされ、
その後は内日、幡生へと移転して、
享保17年(1732)に現在地に移転したという。
「光明寺」。
大東亜戦争… 続きを読む
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下関市竹崎町 白石正一郎海門跡地
大歳神社の大鳥居から豊前田通りに入り、
5~60m歩いた左手にある国民旅館 天海。
この入口に石碑が建てられています。
「明治維新豪商 白石正一郎海門跡地」。
白石正一郎海門跡地となっていますが、
白石邸跡は中国電力下関支店のある場所で、… 続きを読む
下関市竹崎町 大歳神社(再訪)
ブログの始めたばかりの平成24年に、
大歳神社の記事を書いていたのですが、
9年ぶりに訪問してみました。
三井住友銀行下関支店の東側が参道で、
その急な石段は115段あり、
[一二三のお祓い坂]と呼ばれています。
本来は123段あったようですが、
先の大戦中に2度崩壊してしまい、
現在は8段不足しているという。
「大鳥居」。
文久2年に攘夷祈願として、
白石正一郎が寄進した… 続きを読む
下関市一の宮 住吉神社(再訪)
神道では神の霊魂は2つの側面を持ち、
優しく平和的な和魂と、
荒々く攻撃的な荒魂があるとされ、
同じ神でも全く違う性格を持っていました。
住吉三神は表筒男命、中筒男命、
底筒男命の三神で、
イザナギ命… 続きを読む
下関市清末 清末護国神社(再訪)
清末八幡宮に隣接する清末護国神社は、
明治13年に清末藩の歴代藩主を祀る為に、
清栄神社として創建され、
後に国事に殉じた77柱を合祀して、
清末護国神社と改称したもの。
「清末御國神社」。
初代藩主や歴代藩主を祀る神社は、
明治初期に各地に創建されますが、
清末にも藩主を祀る神社が建てられました。
これに清末藩の戦死者も合祀され、
招魂社として護国神社となっています。… 続きを読む
下関市清末 清末八幡宮(再訪)
清末八幡宮は建武2年(1635)に、
宇佐八幡宮より勧請されて創建されますが、
その後は長らく荒廃していた為、
清末藩の初代藩主毛利元知が再建し、
藩の守護神として祀っていました。
現在の社殿は8代藩主毛利元純によって、
整えられたものです。
「清末八幡宮」。
御祭神は仲哀天皇、… 続きを読む
下関市後田町 戦場ヶ原公園
戦場ヶ原公園。
この殺伐とした名称の公園は、
一聞すると古戦場であろうと想像しますが、
別に古戦場だった訳ではありません。
幕末期には長府報国隊の教練場となり、
明治期以降は大規模な要塞となっていますので、
古戦場ではないにしろ戦争に関係ない訳でなく、
戦場ヶ原の名称が付けられてもおかしくない。
いつからそう呼ばれたのかは諸説がありますが、
幕末期には… 続きを読む