[山口県下関市]」カテゴリーアーカイブ

下関市阿弥陀寺町 本陣伊藤邸跡

今更ながら本陣伊藤家の記事。

伊藤家は鎌倉時代よりの名家の家柄で、
室町時代江戸時代には町の大年寄を務め、
町代官も務める指導的立場であったという。
参勤交代で訪れる諸大名の本陣も務め、
※伊藤家は東本陣で、続きを読む

下関市椋野町 椋野陣屋跡

下関は幕末の重要な事件が多数発生しており、
攘夷戦功山寺挙兵小倉戦争など。
幕末史跡の多い場所なのですが、
明治以降に大規模な下関要塞が建設された他、
空襲での破壊、戦後の発展などに伴い、
多くの遺構が失われています。
今回取り上げる椋野陣屋跡続きを読む

下関市唐戸周辺 赤間関宿跡

赤間関宿山陽道(西国街道)の終点。
本州の西端に位置しており、
九州への玄関口にもなっています。
宿場の顔以外にも北前船の寄港地でもあり、
上方と北国を繋ぐ中継地点であった為、
大変な賑わいであったという。


御国廻御行程記 赤間関」。
宿場は阿弥陀寺続きを読む

下関市吉田 吉田宰判勘場跡/御茶屋跡

長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、
裁判等が行われています。

吉田山陽道赤間関街道が交差し、
藩直轄地の最西に位置していた為、
役所として吉田宰判勘場続きを読む

下関市吉田 常関寺/山内梅三郎墓所

長州藩寄組山内家備後国国人でしたが、
毛利元就に帰属して尼子勢に対抗し、
その後の毛利輝元の代に家臣となりました。
毛利家の防長減封後もこれに従い、
厚狭郡吉田に4905石を与えられており、
以後は江戸時代続きを読む

下関市清末 高林寺/清末藩毛利家墓所(再訪)

清末藩毛利家の菩提寺高林寺に再訪。


山門」。
天和2年(1682)の創建当時のまま残る山門
安政2年に火災が起こっており、
本堂など他の建造物は焼失しています。
5年前は娘と訪問しましたが、
今回は息子と2人でやってきました。


本堂左側より毛利家墓所へ。


清末毛利家墓所」。… 続きを読む

下関市長府 古串屋

父の喜寿のお祝いを古串屋で行いました。


古串屋」。
古串屋は長府にある老舗料亭で、
高杉晋作乃木希典が愛したとされますが、
創業は明治4年となっています。
明治4年なら晋作は既にいない筈で、
料亭としての操業が明治4年で、
それ以前は料理旅館だったそうな。
晋作がこよなく愛したかはわかりませんが、… 続きを読む