吉田宿は西国街道の宿場町であり、
終点の赤間関宿前の最後の本宿にあたり、
本陣として長州藩直営の御茶屋も置かれ、
また本藩の最西の領地だった為、
郡役所である吉田宰判勘場が置かれており、
周辺一帯の本藩領を支配しています。
吉田周辺。緑の線が西国街道で、
分岐する青い線は赤間関街道中道筋。
吉田宿は青でぼかした辺り。
「吉田宿跡」。
赤い瓦の家屋が並ぶ吉田の街並み。
古い家も多く見られます。
赤間関街道中道筋にも連結し、
萩への分岐点のひとつでもあった為、
交通、交易の要所となっており、
宿駅に人足58人、馬15疋が常備され、
大変に賑やかであったという。
「末富家邸」。
吉田の庄屋を務めた末富家の邸宅。
後に奇兵隊が吉田に転陣していますが、
吉田陣屋が完成するまでは、
この末富家邸が本営となっており、
軍監山縣狂介はここの2階で下宿しました。
※山縣は後に石川良平の娘お友と結婚し、
清水山の麓に草庵を建てています。
高杉晋作の葬儀もここで行われており、
西国街道は晋作を弔う提灯の行列が、
下関から吉田まで途切れなく続いたという。
■西国街道の宿場町
■赤間関街道/萩往還の宿場町
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なかなかスムーズにはいきません。