石薬師宿は東海道の44番目の宿場。
空海が石に刻んだとされる薬師如来が、
本尊として祀られている石薬師寺には、
参勤交代の大名達も道中安全に参拝し、
大きな賑わいをみせた宿場だったという。
鈴鹿市石薬師町周辺。緑の線が東海道で、
青くぼかした辺りが石薬師宿跡。
西口より散策。
「石薬師宿跡」。… 続きを読む
三重県鈴鹿市 石薬師宿跡
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石薬師宿は東海道の44番目の宿場。
空海が石に刻んだとされる薬師如来が、
本尊として祀られている石薬師寺には、
参勤交代の大名達も道中安全に参拝し、
大きな賑わいをみせた宿場だったという。
鈴鹿市石薬師町周辺。緑の線が東海道で、
青くぼかした辺りが石薬師宿跡。
西口より散策。
「石薬師宿跡」。… 続きを読む
庄野宿は東海道の45番目の宿場。
庄野は伊勢神宮内宮の御園であったようで、
その地名も荘園にちなみます。
宿場となったのは遅かったようで、
寛永元年(1624)とのこと。
隣の石薬師宿までは僅か2.7kmで、
東海道では御油宿ー赤坂宿の次に短く、… 続きを読む
日永追分は東海道と伊勢街道の分岐点。
「日永追分跡」。
国道1号線の追分交差点にある跡地。
伊勢神宮の二の鳥居が建てられており、
※一の鳥居は… 続きを読む
四日市湊は古くから天然の良港として栄え、
天領四日市の貿易港でしたが、
十里の渡しの発着点にもなっていました。
十里の渡しは熱田と四日市を結ぶ海路で、
江戸時代初期よりあったようですが、
利用者は余りいなかったようです。
それがだんだんと増えていったとされ、
熱田と桑名間の七里の渡しを陵駕した為。… 続きを読む
四日市宿は東海道の43番目の宿場。
古くから港町として栄えていた場所で、
江戸時代には幕府天領となっており、
代官所も置かれていました。
「東海道五十三次之内 四日市」。
歌川広重の東海道五十三次の浮世絵。
強風に葦が靡き合羽の裾が翻す旅人と、… 続きを読む
田丸城下は熊野古道伊勢路と、
伊勢本街道の合流地点であり、
参宮の宿場町としても栄えていました。
「はせ街道 熊野街道 追分道標」。
田丸城大手口で2つの街道が合流し、
伊勢神宮へと向かいました。
説明板では大和からの伊勢本街道を、
はせ街道(… 続きを読む
田丸城は南北朝時代に築かれた城で、
北畠親房による築城とされます。
足利尊氏に攻め落とされていますが、
室町時代に再建されており、
北畠政郷の四男顕晴が田丸姓を名乗り、
以後は田丸家の居城としていましたが、
戦国時代の城主田丸直昌が、… 続きを読む