海潮寺地蔵尊は元は保福寺と呼ばれ、
都濃郡久米にあった原始院の住職が、
萩に隠居寺を建立したことに始まります。
後に海潮寺の末寺となっており、
身代わり地蔵を祀るお寺として、
庶民に信仰されるようになりました。
保福寺は明治元年に廃寺となりますが、
その後は海潮寺が地蔵堂として管理し、
現在に至っています。
「地蔵堂… 続きを読む
「ペリー艦隊」タグアーカイブ
三重県津市 津城跡
コメントを残す
戦国時代以前の「津」は安濃津と呼ばれ、
伊勢国の経済の中心地であったようです。
鎌倉時代以降は長野家が支配していましたが、
織田信長の伊勢侵攻によって織田家領となり、
安濃津城には織田信包が入りました。
信長が本能寺の変… 続きを読む
岡山県津山市 箕作阮甫像
津山駅前に箕作阮甫の銅像があります。
機関車トーマスが好きな我が息子の為、
[津山まなびの鉄道館]に行こうとしたら、
※扇形機関車庫がある。
訪問した月曜日は定休日でした。
仕方なく駅前の蒸気機関車を見せようと、
津山駅に行った訳です。
「箕作阮甫像」。
箕作阮甫は津山藩医の家に生まれますが、
父や兄を亡くし12歳で家督を相続。… 続きを読む
らしゃめん伝吉②
らしゃめん伝吉①
ペリーに相撲を披露する
嘉永7年。
ペリー艦隊の2度目の来航の際、
幕府はペリーや艦隊水兵らに、
相撲を披露することになります。
力自慢の力士達30人が、
艦隊への進物米200俵を運び、
米俵を軽々と持ち上げる力士達に、
水兵らは唖然としたとか。
幕府が力士達を動員したのは、
ペリーへの牽制の意味もあったらしい。
土俵入りや稽古相撲も行ったようで、
迫力ある相撲のぶつかりに、
彼らは驚いた事でしょうが、
ペリーはあまり気に入らなかったようで、
「芝居がかっている」… 続きを読む