ペリー艦隊」タグアーカイブ

山口県萩市 岩倉獄跡

岩倉獄は萩城下にあった獄舎。
大組士野山六右衛門岩倉孫兵衛は、
通路を挟んだ両側に屋敷を持ちましたが、
両家の仲は悪かったという。
そして正保2年(1645)9月17日の夜に、
岩倉孫兵衛が泥酔して野山邸に押し入り、
野山家の家族を惨殺してしまいます。
岩倉は捕らえられて野山邸に監禁され、
後に斬首されていますが、
喧嘩両成敗の為に野山家も取り潰され、
両家の跡地は獄舎が建てられました。
非は岩倉孫兵衛にあるとして、… 続きを読む

東京都港区 品川台場跡

嘉永6年(1853)のペリー来航を受けた幕府は、
江戸湾に11基の台場造営を計画し、
嘉永7年(1854)江川英龍の指揮で建設が開始。
第一台場から第三台場が先に竣工し、
その後に第五台場第六台場が竣工します。
しかし計画の縮小で… 続きを読む

吉田松陰の浦賀行②

/②/
つづき。

6月6日
早起きして加茂井に至り海を望む。
陸から十町程離れた場所に、
賊艦が四隻停泊している。
お互いの距離は皆5町程で、
そのうち二隻が蒸気船
Susquehanna(サスケハナ)、
 Mississippi
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吉田松陰の浦賀行①

①//

吉田松陰ペリー浦賀に来航した際、
浦賀に赴いて見物しました。
今回はこれを追ってみようと思います。

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6月4日、晴。
渡邊春汀を訪ねるが不在。
※渡邊春汀は杵築藩の蘭医。続きを読む

吉田松陰の三月二十七日夜の記⑥

/////⑥
つづき。

その事の敗れの本を尋ぬれば、
櫓ぐひなき計りにてかくなりゆけり。
因って思ふ。左傳某の役の敗を記して、
鯵絓りて止まるとやらあり。
大軍の敗もかかる小事に因ることなり。… 続きを読む

吉田松陰の三月二十七日夜の記⑤

////⑤/
つづき。

夜は暗し、道は知れず、
大いに困迫する間に夜は明けぬ。
海岸を見廻れども我が舟みえず。
※夜は暗く道は判らず、
 大いに困っている間に夜は明け、
 海岸を見渡しても我が舟は見つからない。

因って相謀りて曰く[事がここに至れば、
奈何ともすべからず、
うろつく間に縛せられては見苦し
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