ペリー艦隊」タグアーカイブ

山口県萩市 海潮寺地蔵堂/金子重輔墓所

海潮寺地蔵尊は元は保福寺と呼ばれ、
都濃郡久米にあった原始院の住職が、
に隠居寺を建立したことに始まります。
後に海潮寺の末寺となっており、
身代わり地蔵を祀るお寺として、
庶民に信仰されるようになりました。
保福寺は明治元年に廃寺となりますが、
その後は海潮寺が地蔵堂として管理し、
現在に至っています。


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三重県津市 津城跡

戦国時代以前の「」は安濃津と呼ばれ、
伊勢国の経済の中心地であったようです。
鎌倉時代以降は長野家が支配していましたが、
織田信長の伊勢侵攻によって織田家領となり、
安濃津城には織田信包が入りました。

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岡山県津山市 箕作阮甫像

津山駅前に箕作阮甫の銅像があります。
機関車トーマスが好きな我が息子の為、
[津山まなびの鉄道館]に行こうとしたら、
※扇形機関車庫がある。
訪問した月曜日は定休日でした。
仕方なく駅前の蒸気機関車を見せようと、
津山駅に行った訳です。


箕作阮甫像」。
箕作阮甫は津山藩医の家に生まれますが、
父や兄を亡くし12歳で家督を相続。… 続きを読む

らしゃめん伝吉②

/②

出奔した伝吉の足取りは不明です。

1854年7月(嘉永7年6月)。
香港に現れて停泊中のミシシッピ号に、
合衆国を訪問したいと願い出たという。
伝吉は乗船を許されてアメリカへ向かい、
水夫達は親しみを込めて伝助を、
ダンケッチ(Dan-Ketch)と呼びました。

アメリカに渡った後の足取りも不明で、
安政6年に英国軍艦サンプソン号に乗って、
英国付通訳としてオールコック続きを読む

らしゃめん伝吉①

①/

嘉永3年10月。
摂津の廻船「栄力丸」は荷物を江戸に届け、
帰路に浦賀で大豆、小麦、胡桃等を買入れ、
志摩の大王崎まで進みます。
海は夜半より雨風が激しくなり、
船は嵐に遭遇して西の方角に流されました。
このどうにもならない状況に、
船員達は船の帆柱を捨て、
髪を切って神仏に祈りました。… 続きを読む

ペリーに相撲を披露する

嘉永7年。
ペリー艦隊の2度目の来航の際、
幕府はペリーや艦隊水兵らに、
相撲を披露することになります。

力自慢の力士達30人が、
艦隊への進物米200俵を運び、
米俵を軽々と持ち上げる力士達に、
水兵らは唖然としたとか。
幕府が力士達を動員したのは、
ペリーへの牽制の意味もあったらしい。
土俵入りや稽古相撲も行ったようで、
迫力ある相撲のぶつかりに、
彼らは驚いた事でしょうが、
ペリーはあまり気に入らなかったようで、
芝居がかっている」… 続きを読む

静岡県下田市 下田湊⑤/玉泉寺(初の米国領事館)

////⑤/

玉泉寺は日本で最初の米国領事館
下田条約により玉泉寺は米国人の休息所
そして埋葬所に指定されます。… 続きを読む