戦国時代以前の「津」は安濃津と呼ばれ、
伊勢国の経済の中心地であったようです。
鎌倉時代以降は長野家が支配していましたが、
織田信長の伊勢侵攻によって織田家領となり、
安濃津城には織田信包が入りました。
信長が本能寺の変… 続きを読む
戦国時代以前の「津」は安濃津と呼ばれ、
伊勢国の経済の中心地であったようです。
鎌倉時代以降は長野家が支配していましたが、
織田信長の伊勢侵攻によって織田家領となり、
安濃津城には織田信包が入りました。
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津山駅前には、箕作阮甫の銅像が建てられています。
実は機関車トーマスが好きな我が息子の為、
「津山まなびの鉄道館」に行こうとしていたのですが、
※扇形機関車庫がある。
訪問した月曜日は定休日。
仕方なく津山駅前にある蒸気機関車を見せようと、
津山駅に行ったわけです。
「箕作阮甫像」。
箕作阮甫は津山藩医の家に生まれますが、… 続きを読む
嘉永7年。
ペリー艦隊の2度目の来航の際、
幕府はペリーや艦隊水兵らに、
相撲を披露することになります。
力自慢の力士達30人が、
艦隊への進物米200俵を運び、
米俵を軽々と持ち上げる力士達に、
水兵らは唖然としたとか。
幕府が力士達を動員したのは、
ペリーへの牽制の意味もあったらしい。
土俵入りや稽古相撲も行ったようで、
迫力ある相撲のぶつかりに、
彼らは驚いた事でしょうが、
ペリーはあまり気に入らなかったようで、
「芝居がかっている」… 続きを読む