万倉領主国司家の屋敷跡が、
宇部市の奥万倉伊佐地にあります。
国司家居館跡。
領主の館らしい立派な石垣。
建物は残されていませんが、
お屋敷だった雰囲気は感じられます。
屋敷の敷地内に案内板がありますが、
かすれててほとんど読めません・・。
「贈正四位国司信濃御館址」碑。
この碑を建てたのは… 続きを読む
万倉領主国司家の屋敷跡が、
宇部市の奥万倉伊佐地にあります。
国司家居館跡。
領主の館らしい立派な石垣。
建物は残されていませんが、
お屋敷だった雰囲気は感じられます。
屋敷の敷地内に案内板がありますが、
かすれててほとんど読めません・・。
「贈正四位国司信濃御館址」碑。
この碑を建てたのは… 続きを読む
宇部市万倉にある天龍寺に、
三家老のひとり国司親相の墓所があります。
「天龍寺本堂」。
天龍寺は万倉領主国司家の菩提寺。
本堂は最近の建物のようです。
「国司家墓所」。
7、10、12~21代当主の墓所。
7代国司元相は130余の首級を挙げ、
足利将軍にも認められた槍の名手ですが、… 続きを読む
禁門の変の責で自刃した三家老の国司親相。
彼を祀る万倉護国神社に行ってきました。
「万倉護国神社」。
幕末の万倉領主国司親相と、
その家臣26名を祀る峠山招魂場が、
奥万倉土井に建立されていましたが、
それとは別に昭和17年に万倉村民により、… 続きを読む
益田家は長州藩の永代家老家で、
長州領北東端須佐を所領としていました。
益田家は鎌倉時代より、
現在の島根県益田市を本拠としていますが、
関ヶ原の戦いで主家が減封した為、
代々統治した所領を手放しています。
益田の隣須佐が所領とされたのは、
益田を取り戻すつもりだったのか?
それとも単なる偶然?… 続きを読む
須佐は長州藩永代家老益田家の所領。
益田家は現在の島根県益田市を所領とし、
代々統治していましたが、
関が原の戦いで毛利家が減封された際、
益田氏も須佐に転封となりました。
須佐の地名は文字通り、
スサノオノミコトと関係深いようですが、
神話の話なのでよくわかりませんが、
益田氏が治めるようになってからは、
北前船… 続きを読む
東光寺は3代藩主であった毛利吉就が、
元禄4年に建立した毛利家菩提寺です。
3代吉就の他、5代吉元、7代重就、9代斉房、
11代斉元と奇数代の藩主が眠っています。
「… 続きを読む