今津宿は西近江路の宿場だった地で、
加賀藩の飛地であったようです。
JR近江今津駅周辺。緑の線が西近江路で、
青くぼかした辺りが今津宿跡。
「今津宿の町並み」。
浜通りには往時の雰囲気が残っています。
加賀本領と京都や大坂… 続きを読む
滋賀県高島市 今津宿跡
コメントを残す
今津宿は西近江路の宿場だった地で、
加賀藩の飛地であったようです。
JR近江今津駅周辺。緑の線が西近江路で、
青くぼかした辺りが今津宿跡。
「今津宿の町並み」。
浜通りには往時の雰囲気が残っています。
加賀本領と京都や大坂… 続きを読む
吉祥寺にある七日市藩前田家の墓所。
「前和州太守眞翁宗智大居士」。
初代藩主前田利孝の墓。
加賀藩藩祖前田利家の五男で、
母は側室の於幸和でしたが、
利家の正室芳春院と共に人質となり、… 続きを読む
開禅寺は金沢市野町にある曹洞宗の寺院。
寛正元年(1460)に越中国守山に建立され、
慶長4年(1599)に金沢に移転したという。
加賀八家のひとつ長家の外護を受け、
長家の位牌寺として新保に移転し、
三間道を経て現在地に移転しています。
「本堂」。… 続きを読む
現在の七尾市街は昔より所口と呼ばれ、
古来より港があって栄えていたという。
七尾の名称は七尾城に由来し、
城地に7つの尾根があった為に、
七尾城と名付けられたようです。
前田利家が能登一国を拝領されると、
難攻不落の… 続きを読む
長家は能登国穴水の国人で、
室町時代より能登畠山家の家臣となり、
19代長続連は畠山七人衆の一人として、
能登畠山家中随一の勢力を誇りました。
しかし上杉謙信の能登侵攻が始まると、
七尾城に籠城して一度は撃退しますが、
二度目には親上杉派の遊佐続光… 続きを読む
金沢城に新しい門と橋が復元されたようなので、
金沢訪問の最後に行ってみました。
今回復元された鼠多門は、
金沢城西側にある玉泉院丸に位置し、
鼠多門橋で繋がれた金谷出丸への出入口。
※金谷丸は現在の尾山神社境内。
鼠多門は櫓門形式の城門で、
正確な創建年代は不明ですが、
江戸時代前期には既に存在していたようです。
宝暦9年の大火でも焼失を免れ、… 続きを読む
加賀藩家臣の最高位の人持組頭8家は、
いずれも万石以上の禄高を有しており、
他藩でいう永代家老家にあたります。
この8家は加賀八家と呼ばれており、
本多家、長家、横山家、前田土佐守家、
前田対馬守家… 続きを読む