吉祥寺にある七日市藩前田家の墓所。
「前和州太守眞翁宗智大居士」。
初代藩主前田利孝の墓。
加賀藩藩祖前田利家の五男で、
母は側室の於幸和でしたが、
利家の正室芳春院と共に人質となり、
江戸で芳春院に養育されました。
大坂の陣で戦功を挙げた為、
1万石を与えられて七日市藩を立藩。
21年の治世の後に死去しています。
2代、3代藩主は七日市の長学寺。
「超玄院殿前京兆楚雲萬里大居士 神儀」。
4代藩主前田利慶の墓。
3代前田利広の長男として生まれ。
父の死去に伴い家督を相続しますが、
僅か2年で病死しています。
5代、6代も七日市の長学寺。
「本覺院殿従五位下前丹州太守
廓然玄性大居士」。
7代藩主前田利尚の墓。
6代前田利理の四男として生まれ、
父の死去に伴い家督を相続。
治世では旱魃で大損害を出しており、
加賀藩の援助を受けています。
26年の治世の後に隠居し、
10年の晩年の後に死去しました。
「覚峯院殿前和州太守了圓道照大居士」。
8代藩主前田利見の墓。
7代利尚の次男として生まれ、
父の隠居に伴い家督を相続しますが、
天明の大飢饉が発生し、
先代と同様に加賀藩に援助を受けました。
藩主就任後僅か4年で死去。
「閑松院殿従五位下前和州太守
鶴心宗壽大居士」。
9代藩主前田利以の墓。
大聖寺藩5代前田利道の六男で、
8代利見の養嫡子となり、
利見の死去に伴い家督を相続し、
22年の治世の後に隠居。
藩は継続的に加賀藩の援助を受けており、
贅沢は出来ない状態でしたが、
利以は隠居後に贅沢を尽くした為、
加賀藩は怒って援助を打ち切ります。
この為に藩財政は更に困窮してしまい、
見かねた須藤岡之進という藩士が、
遺書を書いて妻と共に切腹。
この事が加賀藩にも伝わった事により、
両藩の仲は少しずつ修復に向かいます。
しかし利以の贅沢は10年も続き、
その死まで改まらなかったという。
前田家墓所にある見性院殿の墓。
日向守を名乗ったようですが、
七日市藩前田家の当主ではなかったので、
散々調べて苗木山前田家の祖と判明。
「見性院殿前日州太守鐵叟常漢〇〇」。
苗木山前田家初代前田孝矩の墓。
初代前田利孝の次男に生まれ、
蔵米2000俵で旗本寄合に列しています。
後に500石加増されており、
苗木山前田家は2500石で続きました。
11代藩主前田利豁の墓や、
最後の藩主12代前田利昭の墓も、
この吉祥寺墓地にあるようですが、
見落としてしまったようです。
■関連記事■
・群馬県富岡市 七日市陣屋跡
七日市藩前田家の陣屋跡。