開善寺の原家墓域に何故か、
小笠原内匠祖の墓があります。
「小笠原内匠祖之墓」。
小笠原内匠祖の墓。
何故原家の墓域にあるか不明ですが、
墓地移転の際にこうなったのでしょう。
小笠原内匠は藩主一門の家格で、
[御名字之族]と称される系譜。
執権職を拝命する重臣拾四家… 続きを読む
福岡県北九州市 開善寺/小笠原内匠祖之墓
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開善寺の原家墓域に何故か、
小笠原内匠祖の墓があります。
「小笠原内匠祖之墓」。
小笠原内匠祖の墓。
何故原家の墓域にあるか不明ですが、
墓地移転の際にこうなったのでしょう。
小笠原内匠は藩主一門の家格で、
[御名字之族]と称される系譜。
執権職を拝命する重臣拾四家… 続きを読む
開善寺にある小宮家の墓所。
「小宮家墓所」。
小宮家は信州時代より小笠原家に仕え、
重臣拾四家のひとつとされた名門。
資料に乏しく当主の系譜は不明ですが、
居士銘入った墓碑は以下のとおり。
※( )内は特定出来た被葬者。
天球院遍界不藏居士(小宮主鈴親展)… 続きを読む
開善寺にある渋田見家の墓所。
「渋田見家墓所」。
渋田見家は信濃の国人仁科氏の支流。
天正壬午の乱後に小笠原家に仕官し、
渋田見長盛、渋田見政長父子が、… 続きを読む
小倉にある開善寺に再訪。
小倉藩家老家の墓所を参拝します。
「原家墓所」。
原家は信州時代よりの小笠原家家臣。
小倉藩の重臣拾四家のひとつで、
※幕末期のこと。
小笠原織衛家、… 続きを読む
慶応2年8月1日。
長州藩との戦いで不利となった小倉藩は、
小倉城を自焼させ香春に撤退しました。
家老島村志津摩は藩兵を再編し、
金辺峠と狸山に防衛拠点を置いて、
勢いに乗る長州藩兵を迎撃。
金辺峠は総司令官である島村が守り、
狸山には同じく家老の小宮民部… 続きを読む
天仲寺は天仲寺山にあった禅寺で、
現在は廃寺となって建物は解体され、
跡地は天仲寺山公園となっています。
「天仲寺山 案内図」。
天仲寺山は標高28mの小山で、
元々は広津山と呼ばれていました。
中津藩初代藩主小笠原長次は、… 続きを読む
小倉藩と福岡藩の藩境の境川。
その唐津街道沿いに架かる橋が宮川橋です。
「宮川橋」。
福岡藩側から撮影。
両藩の国境ながら番所の存在は不明。
境川は洪水の度に流れが変化し、
境界争い… 続きを読む