藩主家に飽き足らず家老家にも手を伸ばし、
その資料に少なさに驚愕しているのですが、
それでも長州藩は非常に資料は豊富。
図書館に足を運んで探せば、
何らかのヒントは見つかります。
その感覚でお隣の小倉藩を調べると、
びっくりする程資料が少ない。
小倉藩の家老家を調べてみても、
家系図のようなものは見当たらず、
[諸士由緒]という図書館の閉架資料から、
一門家老の[御名字之族… 続きを読む
小倉藩の御名字之族
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藩主家に飽き足らず家老家にも手を伸ばし、
その資料に少なさに驚愕しているのですが、
それでも長州藩は非常に資料は豊富。
図書館に足を運んで探せば、
何らかのヒントは見つかります。
その感覚でお隣の小倉藩を調べると、
びっくりする程資料が少ない。
小倉藩の家老家を調べてみても、
家系図のようなものは見当たらず、
[諸士由緒]という図書館の閉架資料から、
一門家老の[御名字之族… 続きを読む
小倉藩一門家老家は[御名字之族]と呼ばれ、
幕末期には4家存在しており、
それぞれ小笠原織衛、小笠原若狭、
小笠原甲斐、小笠原内匠がありました。
今回訪問した小笠原家の墓所は、
初代藩主小笠原忠真の弟小笠原忠慶… 続きを読む
北九州市八幡東区高見の市立谷口霊園に、
[小笠原家ゆかりの墓]があります。
小倉藩一門家老家は[御名字之族]と呼ばれ、
幕末期には小笠原織衛、小笠原若狭、
小笠原甲斐、小笠原内匠と名乗ってますが、
各家の当主は特定の名乗りを持たず、… 続きを読む
開善寺の原家墓域に何故か、
小笠原内匠祖の墓があります。
「小笠原内匠祖之墓」。
小笠原内匠祖の墓。
何故原家の墓域にあるか不明ですが、
墓地移転の際にこうなったのでしょう。
小笠原内匠は藩主一門の家格で、
[御名字之族]と称される系譜。
執権職を拝命する重臣拾四家… 続きを読む
開善寺にある小宮家の墓所。
「小宮家墓所」。
小宮家は信州時代より小笠原家に仕え、
重臣拾四家のひとつとされた名門。
資料に乏しく当主の系譜は不明ですが、
居士銘入った墓碑は以下のとおり。
※( )内は特定出来た被葬者。
天球院遍界不藏居士(小宮主鈴親展)… 続きを読む
開善寺にある渋田見家の墓所。
「渋田見家墓所」。
渋田見家は信濃の国人仁科氏の支流。
天正壬午の乱後に小笠原家に仕官し、
渋田見長盛、渋田見政長父子が、… 続きを読む
小倉にある開善寺に再訪。
小倉藩家老家の墓所を参拝します。
「原家墓所」。
原家は信州時代よりの小笠原家家臣。
小倉藩の重臣拾四家のひとつで、
※幕末期のこと。
小笠原織衛家、… 続きを読む