小倉藩」タグアーカイブ

福岡県北九州市 須佐神社/狸山古戦場跡

慶応2年8月1日。
長州藩との戦いで不利となった小倉藩は、
小倉城を自焼させ香春に撤退しました。
家老島村志津摩は藩兵を再編し、
金辺峠狸山に防衛拠点を置いて、
勢いに乗る長州藩兵を迎撃。
金辺峠は総司令官である島村が守り、
狸山には同じく家老の小宮民部続きを読む

福岡県築上郡 天仲寺跡/小笠原家墓所

天仲寺天仲寺山にあった禅寺で、
現在は廃寺となって建物は解体され、
跡地は天仲寺山公園となっています。


天仲寺山 案内図」。
天仲寺山は標高28mの小山で、
元々は広津山と呼ばれていました。
中津藩初代藩主小笠原長次は、… 続きを読む

福岡県北九州市 宗玄寺/小笠原家老家墓所

小倉にある曹洞宗の寺院宗玄寺は、
元々小笠原宗家初代小笠原秀政により、
信濃国松本に創建した寺院。
※始め臨済寺と称していましたが、
 秀政の死後に宗玄寺に改めています。

小笠原家の小倉藩転封に伴ない、
小倉城下の… 続きを読む

福岡県北九州市 田野浦

田野浦は古くからの港町。
関門海峡潮待ちの港として、
北前船の寄港が増加するようになると、
門司をも陵駕する繁栄を魅せたという。


門司区田野浦周辺。
埋め立てで海岸線は変わっており、
往時の集落は陸封されています。


田野浦港」。
かつての浦は田野浦埠頭で覆われて、
河口のような船溜まりとなっています。… 続きを読む

下関市阿弥陀寺町 与次兵衛ヶ瀬の碑

阿弥陀寺町の姉妹都市ひろばという場所に、
与次兵衛ヶ瀬の碑があります。


与次兵衛ヶ瀬の碑」。
関門海峡は狭い場所で約650m程、
そこに1日約510隻の船が行き交い、
多くの船舶が通行していますが、
やはり現在も海運の難所でとのこと。
現在は浅瀬の除去、信号やブイの設置、
浚渫工事等で安全が保たれていますが、
昔はもっと危険な海峡でした。
その最大の難所が与次兵衛ヶ瀬続きを読む

福岡県豊前市 千束藩小笠原家墓所

小笠原真方は寛文7年(1667)に、
小倉藩2代小笠原忠雄の家督相続の際、
1万石を内分分知されて諸侯に列しました。
新田藩であった為に特定の領地を持たず、
藩主は江戸定府していたようですが、
初期の藩主は小倉へ戻っていたようです。
※3代までの墓所は小倉の続きを読む