智積養水は昭和の名水百選。
智積村は昔から旱損所と云われ、
水不足の深刻な場所でした。
北側を流れる金渓川も水量は少なく、
灌漑用水に使用は出来なかった為、
水が豊富に湧き出る森村から、
桜一色村を経て智積村まで、
豊富な水を送る事となります。… 続きを読む
三重県四日市市 智積養水
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智積養水は昭和の名水百選。
智積村は昔から旱損所と云われ、
水不足の深刻な場所でした。
北側を流れる金渓川も水量は少なく、
灌漑用水に使用は出来なかった為、
水が豊富に湧き出る森村から、
桜一色村を経て智積村まで、
豊富な水を送る事となります。… 続きを読む
麟祥院にある菰野藩土方家の墓所。
菰野藩土方家の江戸菩提寺だったようです。
「通霄院殿従五位下玄峯孤順大居士」。
3代藩主土方雄豊の墓。
初代土方雄氏の次男土方氏久の三男で、
2代土方雄高の娘を娶って継嗣となり、
義父雄高の死去に伴い家督を相続。… 続きを読む
谷中霊園にある菰野藩土方家の墓所。
旧領である菰野町の見性寺には、
立派な歴代墓所がありますが、
この谷中霊園には当主の合葬墓があり、
歴代当主の戒名がびっしり刻まれています。
「歴代当主墓碑(右)」、
「先祖代々之墓(左)」。
左の墓には初代土方雄氏… 続きを読む
見性寺は菰野藩藩主土方家の菩提寺。
2代土方雄高が尾張から三霊和尚を招き、
土方家の菩提寺として創建されました。
「山門」。
山門は享保11年(1726)に再建されたもの。
「本堂」。
禅宗の方丈建築様式の本堂。… 続きを読む
菰野藩は江戸時代を通じ土方家が治め、
石高1万2000石の小藩でしたが、
年貢の取立てが比較的緩やかだった為に、
一度も一揆が起こらなかった珍しい藩です。
藩主の土方家は織田家家臣で、
土方雄久の頃には織田信雄に仕えており、
信雄が豊臣秀吉に改易されると、
秀吉の家臣となっています。
秀吉死後も豊臣秀頼… 続きを読む